年が明けてから1ヶ月が経ちもう2月です。スーパーには節分と恵方巻き関連がずらりと並んでいました。豆を食べて鬼が払えるならいくらでも食べるのになぁ(いくらでもは流石に無理だけど)。
なにせずっと鬼は家(内)~!福は外~!状態なので。でも豆は好きだし時期限定に弱いので、豆菓子を何個か買ってきました。きびだんご等も惹かれるけど和菓子は基本賞味期限が短いから諦め。
時が経つのは本当に早いです(勿論楽しいからではない)。毒母が亡くなり今年で6年目、会社勤めを辞めてからは5年目になり、基本的に会話らしい会話をしていません。お使い等で店員さんとのやりとりはたまにあるけど、面倒で外に出ない日もあるので、1日1言も喋らない、誰とも会わない日なんかしょっ中です。
今回は家や学校、職場での体験を通して、会話が良いことだけとは限らないことについて書いていきます。
一言も声を出さない日々が続く現状
親友とはコロナ禍の前から会わなくなっていたし、今1番話す相手は姉です。姉が仕事休みで週2回位寄った時は大体3時間位かな。普通は同居している毒父が1番話す相手になると思いますが、最低限のやりとりすらしたくない相手と会話なんてありません。

だから姉が来ない日が続く時などは一言も喋らない日々が多くなるので、夜眠る時に、あ~今日も一言も欲していないなぁと気づく時もしばしば。あまりに声出ししないと必要な時に声が出せないと困るので、自室でとりとめもない独り言をする位はしていますが基本は会話なしです。
家では緊張と忖度し続けてきた日常会話
幼少の頃から家での毒親との会話が楽しくありませんでした。元々無口ではあったけど、物心ついた時から毒親と会話したい、会話しても楽しくなかった記憶しかないです。
考えてみると真剣な会話どころか日常会話すらまともにしたことがなかったので当然ですね。なにせ何か言ったり聞いたりする度に、毒父からは「そんなことも知らないのか」「お前は変わっている」「お前はおかしい」「そんなことでは生きていかれないぞ」「俺には理解できない」「お前は頑固で強情だ」等ほぼ否定。
毒母は一見毒父と違い優しく見えますが会話不成立な点は同じです。毒父に従う裏で毒父の悪口を言いつつ、私には毒父に従えと強要し、日常動作に干渉し続けてきた毒母の方が毒父よりある意味悪質。

褒められたのは毒父毒母ともに自分の意見と同じ時だけ。だから自分の意見や状況は後回しにしてご機嫌伺いの接待会話のようでした。
姉は私とは真逆のリア充で元気な性格だから、今でこそ会話しているけど、当時青春真っ盛りの姉と暗黒期の私では根本的に話が合う訳もなく、むしろ余計に劣等感が大きくなるばかり。

だから親と姉、家での会話で楽しかったことはほぼありません。
会話どころではない学校と、聞き役に徹し続けて疲労増しただけの職場
以前にも書いた通り暗黒期の学校(特に小学校から高校まで)は会話どころではなく、学校に行くだけで力使い果たしました。地元を離れた専門学校では解放感で今までより断然楽しいし一見会話は出来たものの、会話を楽しむと言うよりは楽しむことに必死だった感もあります。まぁ人間らしさを取り戻す為に、自然ではなく強制のような物だから無理があって当然かと。

職場では女性の多い職場が多く、特有の派閥があるところばかり。人の悪口や怖い人が多いので学校ほど閉鎖的ではないものの学生時の延長戦のようなもの。良く言えば真面目・おとなしい、言い換えれば言いやすい・命令しやすい・押しつけやすい属性の私には、評価されない上に病む可能性が高い良いことなしのこと、言わば人間関係のトラブルによく巻き込まれたり押しつけられたりがしょっ中でした。

できる限りトラブルを起こさないようにが念頭の仮面会話だったから当然徒労が募るだけ。一応私なりに奮闘したけど、人間嫌いの私が人間関係で上手く立ち回れるはずもなく、結局退職。一方元凶達は勤務を続ける理不尽さ。まぁあのまま続けていたらもっと病んだでしょうけど。
否定と見下し、お説教なら話したくもない
家では毒親に接待会話、学校ではほぼ暗黒期で会話自体が恐怖、職場では仮面会話。これが何十年も続いたから今は会話したいとか思えないです。本当は気軽に話せる相手なら話したいけど、もう会話自体が面倒になってしまいました。
相手は愚痴るのに私が愚痴ると否定されてお説教を言われることが多いのもうんざりな理由です。相手の話を聞いた後に私が愚痴ると「あなたは良いじゃない。私なんて~」とか、自分は下げられ相手上げの話に持っていかれることばかり。仲が悪いとか性格が悪いとか分かりやすい相手ではなく、一見普通に話せる人の場合だと余計にがっかりです。
以前記事で書いたSさんの会話の時も実はもやっとする一言がありました。

私が愚痴を言った後に、「でも同居なら近くにいる分まだ距離や時間をはかっての対策を取りようがあるけど、私はわざわざ毒父の家まで距離と時間をかけて行かなければいけないから本当大変なの」とちらっと否定されたから、毒父にうんざりという共通点はあってさえか・・・と内心がっかり。
自分こそ同居の場合にはそれこそ四六時中の苦労で逃げ場がないことを分かっていないじゃないと思いつつ、その場はなんとかスルー。結局自分の方が大変と言うことが本音かとモヤモヤ。元々Sさんには主婦と言う立場や娘さんに劣等感があったからなぁ・・・。このことで余計にやっぱりあまり話したくないなと思ってしまいました。

最低限のやりとりとネットで自分と近い意見を見つけられたら充分
毒父と会話なんて出来るはずもなく、しようとも思わない。毒父への積年や日々の怒りも我慢して自分なりになんとかやっていこうと色々務めたけど徒労に終わったので、頑張る気力まるでなし。
姉も姪が大学受験の為にしばらく来ないので正直ほっとしています。生活苦や疲労と姪の受験不安でピリピリしているから何を話して良いか気を遣うし、何を言われるのか警戒心もあり怖いし疲れるので。

以前は数少ない話し相手だから来る日を心待ちにしていた時もあったけど、最近は来られない日はほっとする気持ちが大きいです。
それでもずっと黙っていると誰かと話したくなる時はあるので、お使いがてらの外出が気晴らしにもなります。

何回か行く店では顔を覚えられて挨拶や簡単な会話をする時もあるし(顔を覚えるのが苦手な私にとって、すぐに顔を覚えられる人は本当凄いと思う)、身内より気持ちが楽だし。店にとっては仕事で当たり前のことかもしれないけど、家が牢獄の身には快く迎えられ、ゆっくりと過ごせる場所は貴重だし、ささやかな優しさに触れた時は涙がじんわり出る位です。
あとはネットで自分の意見に近いブログを見ると凄く嬉しいですね。本音を話せない時、肯定されない日々で孤独感や閉塞感が増す時こそ、自分に近い意見を持つ人の意見は頼もしくも癒やしにもなりますから。勿論100%合うことはあり得ないので、一つの意見として距離感を保って見るようにしています。

あと最近は検索しても逆に疲れる意見を見ることが多くなってしまったので、新しく見つけるよりお気に入りしているブログの過去記事を見ています。

まとめ
終始無言の日々が続いたり、声を出すことを忘れそうだったり、会話があってこその人間なのに会話できないなんて私は一体何なんだろうと虚しくは思います。それでも誰でも良いから話したいとまでは思えません。相手を気遣ったり傷ついたり面倒なことが多すぎて、会話自体に疲れ切ってしまったんでしょう。沈黙!!!それが正しい答えなんだ。
独りきりで会話なく誰とも会わずの罰を与えられると人間は1週間もすれば発狂すると何かで聞いたことがありますが、私の場合は逆に大量の人に囲まれる方が発狂するかもしれません。
確かに会話は大事だけど相手によりけりです。特に聞く耳持たないタイプ(会話ではなく実質は自分語りが好きなだけの人等)と無理に関わり続けていたら却って病むだけ。色々なタイプの人と話すことが良いんだろうけど理想論でしかないです。もし成立したとしたらどちらかが我慢か折れただけの可能性が高いと思うし、特に真逆のタイプ同士の会話が円満に終わることは現実にはほぼないんだろうなと思います。