はっきりさっぱりの性格で友達沢山、仕事も出来るリア充の姉 

毒親
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毒親関係の記事は書いてきましたが、プロフィールで簡単に紹介して日常やランチ関係の記事で書いているものの、そういえば姉自身についてはあまり書いていないかなと。

 

記事からある程度想像できるかもしれませんが、姉は私と真逆で明るい、元気、友達沢山、仕事が出来るのリア充で、明らかにぼっち経験がありません。そして幼少からではなく付き合いが多くなったのはここ数年のことです。

今回は姉の性格と姉に対しての複雑な想いについて書いていきます。

 

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幼少から元気で明るい姉とは高校卒業後まであまり関わりなかった

流石に幼少の頃は殆ど記憶がなく以前見たアルバムでは、とりあえず幼稚園時代位までは仲が良かったみたいで一緒の写真が多かったです。とっくに閉演した遊園地での写真を見ると時代の流れを痛感します。

 

幼少の頃は近所の男の子と一緒に駅前まで散歩して周りが探してもけろりとしていた程でとにかく目が離せないほど元気で行動的だったそうです。写真を見ても笑顔ばかりだから納得。因みに私には笑顔は殆どなく無表情ばかりでした(苦笑)。

 

また小学校では地元の小さなラジオ放送で原稿を採用されたり、字も上手で賞を取ったり、中学校は吹奏楽部に打ち込み、高校は結構偏差値の高めの学区外へ、大学も東京へ行くなどどこでも明るく元気でイベントエンジョイ、友達沢山の眩しさでした。ただ意外にも目立つことや上に立つことはあまり好きではなく、推薦されても学級委員や生徒会とかは断ったそうです。

 

陽キャラ全開の姉に対して私はと言うと見事に真逆。以前にも書きましたが小学校から高校まで暗黒期。姉自身は全く悪くないけど親を始め周りからも比べられまくり、劣等感を大きく持つ対象の1人となった姉に素直に想えられなくて苦手…はっきり言うと嫌いでした。優秀な姉を憧れに素直に自信を磨く系の性格なら良かったんですがね…すでに手遅れ(苦笑)。

 

私の暗黒期学生生活の記事はこちらです。

先生への不信感は小学校から始まった
ハードモードの人生の方は学生時代にいじめを受けていた経験をされた方が多いと思っています。青春を謳歌する、楽しさ一杯の筈の学生時代が地獄だと後々の人生に本当に大きい悪影響をこれでもかと言う位与えますからね。未だに苛めは加害者寄りで被害者が悪い...

 

姉が私の暗黒期を知っていたかは今も分かりません。あえて今更話題にもしたくないので私から話すことはありませんが、当時毒母が不登校になった私を秘かに姉に相談していた可能性はあるのでやはり知っているかもですね。

 

 

18歳から25歳まで更に疎遠になるけど相変わらず元気な姉

暗黒期を経験した私ですが高校半ばには少しは外の世界を見たい、学校生活を楽しみたいと思い、専門学校は地元を離れ東京へ通学。往復4時間超えの上に、専門学校では解放感からか待望の友達が数人出来たので放課後も寄り道して夜遅めになる日々が多く(それでも21時には帰りましたが)、課題や実習に明け暮れる時も多いので家にのんびり居られる時間がぐっと減りました。

 

専門学校時代の記事はこちらです。

最も生きていたと実感できた専門学校時代
40年以上生きてきて最も充実していた、頑張れた時はいつかなぁと思うのはやはり専門学校時代の18歳から20歳でしょう。(漫画系の方ではなくもう一つの専門学校です)2年で短いし今から20年以上前で古い!ですが。当時は私なりに挑戦心が強く今思うと...

 

卒業後もフルタイムパートを重ね残業が多くなり寝に帰るだけの生活が多く、ゆっくり過ごせるのは土日位。土日も学生時代はバイト、卒業後は同人活動も並行し思い切り熱中していたのでこの時期は家のことはあまり記憶にありません。

 

姉も大学生から就職し始めの頃で同じく家にあまり居ないので、一応同居はしていましたがお互いに関わりがないまま数年が過ぎました。それでもこの頃は私なりに元気が復活し闇雲でも色々挑戦していた頃で、姉も持ち前の元気さで2人とも1番伸び伸びし自分のことに集中できていた時期と思います。

 

 

姪っ子が誕生し元気な母である姉。姪を中心に、姉や毒母と関わるようになる

姉は28歳の時に職場の先輩と結婚しました。結婚して家を出ていくことを聞いた時は疎ましかったはずの姉なのにやはり寂しかったですね。ですが家を離れられて結婚して社会や毒親たちに認められる姉が眩しくて、既に結婚出産願望のない私でも心底羨ましかったです。

 

1年後に姪っ子を出産し、家(毒親の元)で暫く育てることに。初めて間近で赤ちゃんを見ましたが可愛かったです~。待望の孫だし毒親たちも溺愛の姿には正直複雑でしたが、ほっぺがぷっくりで小さくて確かに可愛いなぁと思いました。

 

姪っ子は唯一赤ちゃんから今まで成長を間近で見られた存在なので、いつの間にこんなに大きくなって…と秘かに親代わりの気持ちです。あんなに小さかったのに今では私と同じ位の身長にまで伸びて、性格もあどけなかった頃からスンとお澄ましさんで難しい年頃になりました(笑)

 

姉がお母さんになった当初は意識高い系になって色々と本を読んだり勉強熱心で子育てしたりおしとやかになるのかなと思ったのですが姉は姉のままであまり変わらず(笑)。

 

成長するにつれて親子で家によく遊びに来て、休日は姉親子と毒母と私で近場へ遊びに行くことが多くなりました(毒父は車の運転役としてたまに遠出の時に参加)。姪っ子が成長しても基本的に出かけるのは家族総出なので、姉と2人で外出することはなかったです。

 

 

毒母が亡くなる少し前から今、関わりが最も深くなる

30代半ばから私も仕事で結構悩むことが多くなり、有給でもあまり休めないし遊ぶ気力もなくなりました。姉が接客業を再開するようになった為に、シフト制の姉とは休みがずれることが多く土日は姉も自宅で過ごす為に、擦れ違いやすくメールのやりとりをたまにするくらいに。

 

私も職場の悩みなどを陽キャラの姉に話す気持ちがなく、当時は毒母との関係もあまり良くなかったし気力を使い果たしていました。だから姉ともしばらく疎遠だったのですが、転機は毒母のすい臓がん発覚です。流石に家族総出にならざるを得ないので、それぞれ仕事を調節しながら、姉と実際に会い色々相談する機会が増えて会う機会が一気に増えました。

 

普通なら父親と最も話すんですけどね…。話しても却ってケンカになるし既に疲れ切っているから受け流せる余力もなく、毒父も姉を通してだと若干威力が減るので、毒父と姉と共に毒母の治療や通院に集中しました。

 

毒母が逝去し私は1年後に退職。家に居る時間が増えた為に、気晴らしも兼ねて姉と交流が一気に増え週1回くらいの頻度で会っています。

 

毒母の亡くなる前後の様子の記事はこちらです。

毒母が亡くなる前の様子や葬式や葬式後の大変だったこと
今年で毒母が亡くなって今年で4年経ちますが、もっと年数が経った気がします。毒母の亡くなる前の半年間は本当に大変だった…自分でなけなしのやる気を使い果たした最期の年だったと思います。当時はブラック企業で人間関係ずたぼろの時期に毒母の余命宣告で...

 

 

欲しい物を全部持っている姉だけど絶対に敵わないので諦めついた

姉の性格はさっぱりはっきりで毒父寄りの性格です(姉は否定していますが、姪っ子もお母さんじいちゃんにそっくりとまで言っていますしね)。一般的には暗いより明るい性格が当然好かれるし、姉は幼少から今まで人にいつも囲まれ友達も沢山です。

 

職場でも良い人間関係を築き、退職後でも交流している人達が多く、おまけに私にとって鬼門の接客業を難なくこなす、私にとっては眩しすぎるし身内なのでどうしてもずっと比べてしまう為に、こんな人が姉なんて残酷だとずっと思っていました。

 

姉に比べて私はどこへ行っても友達は作れず専門学校から今まで友達は出来たけどその場限りで結局今はいません(苦笑)。何もかも姉と違いすぎて、正直姉の性格が悪かったらまだ良かったんですけど、天然で本当に悪気ないので太刀打ちできる訳がなく、姉ならそりゃ皆友達になりたいよなと自分でも思うほどです。殆どの人が姉のことを良く思うんじゃないかなと。

 

長年根付いた劣等感は完全に払拭出来ないけど、姉のことは何もかも自分が違いすぎ、自分が欲しかった物を持っているのに結局は憎めなかった存在です。

 

 

姉自身が認めている、姉が苦手なこと

明るく元気で誰からも好かれるを地で行く姉ですが完璧な人間なんている訳はなく、姉にも苦手なことはあります。まず繊細で几帳面なことが苦手です。仕事はきっちりとしますが、掃除や飾り付け、もてなしなど気配りや几帳面さを求められるような仕事外のことはかなり大ざっぱなので、同じことをしていても他の人にすぐ自分と分かってしまう位らしいです。

 

家でも料理と洗濯は姉ですが掃除は全て旦那さんらしいです。旦那さんは結構几帳面な方らしいのできっと自分でやらないと気が済まないんだなと。昔の男女価値観ですがまるでドラえもんの男女逆転のオトコンナをかけられたような夫婦だなと昔から思います(笑)

 

あとは陽キャラなだけに陰キャラの気持ちが分かりにくく、即行動できる姉には中々理解できないことも多いようで姪っ子のことで私にたまに相談します。姪っ子は私寄りの陰キャラなので、高校で友達が作れなくてぽつねんとしている悩みを聞いても、どんどん自分から話しかければいいじゃんと軽く言うらしいですが、それが出来れば苦労せんわ!って陰キャラは思うんですよね…。

 

陰キャラの先輩の私には分かっていても足踏みしてしまう姪っ子の気持ちがよく分かるので、理解する前にとにかく話を聞いて同意して、なるべく丁寧に回答してあげてとは姉に言っていますが …(^_^.)

 

姪っ子は姉ちゃん(私)なら気持ち分かってくれるとたまに言っているらしいし(褒め言葉と受け取っておきます)、姉からも私の回答を聞くと姪っ子そっくりと言われるので、私寄りになってしまった姪っ子にはハードモードの人生の可能性が高いので、早めに割り切って学生時代を乗り切ってほしいです。社会人になれば学生時代程は友達付き合いを求められないし、もし友達がいなくてもネットを上手く利用すればリアルで何とか寂しい気持ちはネットがなかった時代よりは埋められますから。

 

因みに学生時代にもし姉と仲が良かったとしても少なくとも人間関係のことは姉に相談しなかったでしょう。だから姉にはカウンセリング系の仕事は向いていないから転職する時が来ても避けておいた方がいいと言っています。姉の性格では悪気なく相談者を突き落としてしまうこともあるだろうから(笑)

 

 

まとめ

思いのほか長文になりましたが姉のことを一気に書けたのでスッキリしました。姉は一言で言うと多くの人から好かれるタイプ。異性同性から気軽に話しかけられて、友達も沢山で付き合いも長く続けられる、仕事もこなせる、結婚出産もしたとまさにリア充街道一直線です。

 

これで旦那さんが安定した仕事だったら完璧でしたが、私が言うのも何ですが結婚後に旦那さんが退職してからは安定した仕事に就いたことがなく非正規雇用を色々、姉も悩んだこともあり秘かに毒母からも旦那さんの愚痴を聞かされていました。

 

因みに旦那さんの性格は人にあまり干渉はしない、人のことを悪く言わない、気楽に話せるタイプで好感度高いから、仕事運にとことん恵まれないのが惜しいなぁという意味でも親近感がある人です。

 

それにしても兄弟姉妹は出来が良いのに自分が悪いと劣等感が半端ないです。だから姉には正直ずっと良い印象がなく(完全に自分の逆恨みです)、出来れば関わり合いたくないので表面上の付き合いで続いていたし、結婚したからもっと疎遠になるかなと思っていたのに毒母逝去後にこんなに会うことになるとは思ってもいませんでした。頻度が多いから錯覚しそうだけど時期にするとほんのここ数年なんですよね、姉と関わり合い深いのは。

 

これだけ自分に根付いた劣等感は完全に解消はできないし姉への想いは今でも複雑ですが、早々に姉には適わないなと(数年前で遅すぎではありますが)自分で白旗を上げたのは良かったかなと。嫌いと思いきれたら良かったんですけどね、内心で反抗する度に自分が余計に虚しくなるし疲れるし姉が悪気がないことも分かっているから余計に惨めになってしまいましたから。

 

これからも姉とは複雑な想いを抱えつつもやりとりは続くんだろうなと思います。姉が学生時代からの友人などと遊びに行ってきた~とか聞くと正直もやっとしていましたが、最近ではもし私に友人沢山居たとしても面倒くささが勝ってしまうかもと(苦笑)。外出自体はしてしまえば良いですが、約束のやりとりや準備、行ってから帰ってくるまでの体力など完全インドアの私にはモチベも持ちそうにありません(苦笑)

 

だから結局世間で受け入れられるリア充や陽キャラは私には元々向いていなかったんだなと思います。学生時代や早々に分かっていたらもっと楽だったんだろうなと今なら素直に思えるのですが…。陰キャラらしく陰を突き通せば良かったなと、無理に陽キャラの手本にして真似しても疲れるだけだとようやく数年前に痛感しました(遅すぎ)。

 

完全に陽キャラ全盛の風潮の中ですが、これからは陰キャラだからと言って悪いことは決してない、いいんだよと言う風潮になれば良いのになぁと思います。(陽キャラ、陰キャラのように決めつけ用語は好きではないんですが、分かりやすさの為に使いました)…それにしても毒父と姉が陽キャラ、毒母はお人よし…この環境では陰キャラの自分は生気を吸い取られて疲れる訳ですね(苦笑)

 

毒親うんざり
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