毒父に依存してお金を使い切り、娘を自分の味方に育てた毒母

毒親
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アメリカの大統領選が連日ニュースですが、横暴者が大統領になってからもう4年経ったんですね。それにしてもアメリカももっと若い候補者が居ないんでしょうか。若ければ良いのではないけど、殆どの国が粗野な高齢指導者ばかりなのでうんざり。

 

4年前の今頃は毒母が亡くなって半年近くで、毒母が亡くなったことを受け止め始めた頃です。私の親はどちらも毒持ちで支配タイプの毒父の方が毒強度は上であるものの、亡くなって4年以上経ってもやはり毒母にも自分には辛かったことが多くあり毒持ちだったなぁと。今回は毒母の毒と思う言動と出来事を改めて書いていきます。

 

引用元:sandidによるPixabayからの画像

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毒父に尽くし続けたストレスの愚痴を娘に向けた

一家の大黒柱でふんぞり返る父親と、家事と育児をこなして父親の言うことに忠実な母親と言う、昔の典型的夫婦の図でした。物心ついた時から毒母の尽くしぶりは凄かったです。

 

家での食事の様子についての記事はこちらです。

家での食事も苦痛だった
毎日料理するのは本当面倒くさいですよね。手抜きが多いとかいちいち文句をつける人も居るらしいですが、じゃぁあんた買い物から後片付けまでやってみろよと言いたいです。やる側になってみないと絶対に面倒くささは分かりませんよ。

 

食事は毎日朝昼夜(昼は休日のみ)毒父が食卓に着く前には食べられるように準備、お酒を飲むので夜はおかずの前におつまみ必須、ご飯のお代わりも毒父に言われて毒母がします。食事内容も毒父好みの濃い味付けと大食いなので食卓一杯に並べます。

 

飲み物はお酒以外にもたまに紅茶やコーヒーも飲む為に常時保存し、言われたらすぐ支度で勿論片づけも込みです。食事内容が気に入らないと文句を言い、別の料理を用意する時もありました。工場閉鎖後は特に毒父の食事の支度の為に用事を切り上げて帰る時も。

 

洗濯も取り込んでしまうまでも毒母が全部やる上、衣類も全員分を毒母が買い物。毒父は完全にお任せなのに色や形とかに不満を言うのでかなり大変だったと思います。毎日の通勤私服や通院、遊びに行く時の服装や持ち物までも毒母が決めて用意しておくと言う徹底ぶりでした。

 

掃除もほぼ全てを毒母が担当。だから家事のほぼ100%毒母が毒父よりにしていたのに、文句もあることもあるので当然ストレスは溜まるでしょう。

 

だけど毒父は若い時から怒ると怖いし、毒母はもう実家へ帰りたくないのであんな旦那でも離婚されては生きていけないからでしょうね。結局は毒父のご機嫌を損ねないように尽くさなければいけないので、はけ口を内向的な私に主にぶつけてきました。

 

生活が安定していた頃はまだしも工場廃業し転落してからはストレスが増大した為、「あいつの首を締めてやりたい」「いつまでこんな生活が続くの」「女になんか二度となりたくない」「お金がないのって惨めよ」等。

 

毒母のストレスは分かるけど、毒父にも責任があるのにはけ口が皆こっちに来て、できれば聞きたくないような言葉を毎日のように聞かされるのですっかり病んでしまいました。聞きたくないと言った途端愚痴ぐらい言わせてよと被害者面されるから、結局我慢して聞くしかないです。

 

家事も少しは手伝おうとしても台所とかに立ち入られたり違う味付けにされたりされるのが気に入らないらしく、洗濯物を畳む形なども気に入らないとたたみ直されます。ひとりで引き受けてイライラ募る割には手伝ってもらうのも自分の言う通りではないと気に入らないので、結局私も手伝う気持ちが失せてしまい、ほぼ毒母任せになってしまいました。

 

 

手がかからない普通の子、自分の絶対的味方が欲しかったんだと思う

私は三歳頃になっても言葉を発さなかったので、検診時の病院では家では喋るんですと医師に伝えたと言ったらしい毒母。検診時にこそ本来の様子を伝えるんじゃないの?幼稚園前には大人しいながらも喋るようになって安心したらしいですが(今だと何かしらの病名がつきそうだけど)、普通の子じゃなかったらどうしようと不安があったんでしょうね。

 

中学校に行きたくなかった時にも心配はするものの学校へなんとか行かせようとした毒母。中学校を行けなくなったらこれからどうするの?とか聞いたけど、今が精一杯なのにこれからのことなんて考えられる訳がありません。

 

何とか中高と卒業したので毒親は満足でしょうが、しっかり学校や人へのトラウマが。無理に6年間行くよりも中学は義務だから行かなくても卒業は出来るし、高校は通信とかの方が良かった気がします…。

 

でも世間体を気にしたんでしょうね。今より当時はもっと不登校は悪いイメージで被害者が悪いでしたから。内向的な性格も指摘され「お姉ちゃんはあんなに明るいのに、こんなに苦労させられるなんて産むんじゃなかった」と言われた時には、学校も親も自分を全否定されたので自殺を初めて考えましたよ。

 

中学校の時の毒父の対応についての記事はこちらです。

学校に行きたくないと言って分かってくれる親はごく少数と思う
学校のいじめ問題が取り上げられるたびに加害者側の残酷な仕打ちに怒りを覚えます。実名報道をして同じ目にあわせてやればいいのに。だって自分がされても平気と思っているから相手にしかも複数でしているんでしょう?更に学校や教育委員会の多くが呆れるほど...

 

 

自分のお人形のように扱った毒母

今でも忘れられないのですが小学校の入学式のクラス写真日のことです。日程が中々決まらなくて写真好きの毒母に毎日よそ行きの服を着せられていったんですよね。だけど写真を撮らない日が続いたので、今日は撮らないだろうと普段着を着た日に写真日に当たってしまいました。しかも端っこの丁度全身が映る場所に…。

 

雪だるまの絵のお気に入りのセーターだったので私は気にしなかったのですが、今日写真撮ったと聞いた途端なんでよりによってこの服の日なのよと思い切り嘆かれました。大人になっても写真を見る度に言われたので、そこまで怒ることなんだろうかとずっと不思議でした。

 

また毒母はとにかくショートカットが好きなので、美容院後の髪型がショート以外のボブ位だと気に入らずにあからさまに不満げでした、…私の髪型なのに。それに服も恥ずかしながら20代までずっと買ってもらっていたので毒母の好みの服のみと、今考えると小学校の集合写真のことを含めて毒母のお人形扱いでした。

 

30代に入り会社の飲み会や同僚との食事で明日が休日だから午前をまわる日もごくたまにありました。遅くなるから寝ていていいよと言っても、帰宅するまで寝床で起きていてこんなに遅いの?心配で寝られなかったと言われました。心配もあるだろうけどこの年で、しかも会社関係で遅くなっても愚痴を言われるのかと。姉なんて学生時代で既に夜遅い時もあったのになと流石に窮屈に感じましたよ。

 

 

お金を使い込んだ末にお金の無心をしてまた散在するの繰り返し

何度も記事に書いていますが毒母と言うとどうしても浪費家だったことが外せません。毒母も家庭環境が悪かったようで、特に兄との仲が悪くお前のことは妹とは思わないとまで何かで言われた上、お小遣いの制限もありとにかく早く家を出て贅沢をしたかったようです。

 

そこまでは分かるんですよ、息抜きやご褒美は必要ですから。だけど使うにも限度があります。毒父が関与しないことをいいことに生活費や貯金分まで使い込み。工場廃業後は娘2人まで毒父への口止めも込みで無心の数々。

 

横暴な毒父だけど一応世帯主だから報告はしなくてはいけないはずなのに毒父から怒られるのが怖いから口止めもしていたので、案の定毒父は俺の金で生活して来られたんだぞという自信に繋がってしまいました。実際は不足分を娘たちが補てんしていたのに。

 

なんでお金が無限にあると思い込めるのか不思議で仕方がありません。足りなければ娘に借りればいいと味をしめてしまったんでしょう。更には生活費の足しではなくカーペットが汚れたからとか、良い物ではないとゴミが着きやすいとか言って高いのをしょっ中買う始末。確かに高価なものほど質は良いだろうけど、もう転落しているんだから普通は買える分に落とすと思うんですが、どうしても倹約や貯金が出来ない人でした。

 

我慢の限度が来たので貯金も少しずつでいいからしてと頼んだら、ようやく60歳過ぎて貯金を考え始めました。けれど可愛い物が好きな毒母は、通帳の絵柄が可愛い銀行が良いとわざわざ新口座開設。可愛い通帳を手に入れた時点で満足してしまい、結局貯金は出来ませんでした。小銭用の貯金箱もわざわざ雑貨店で可愛い形の物を買うなど、毒父と同じく形だけで中身がさっぱりの毒親です。

 

毒母の性格についての記事はこちらです。

毒母のような生き方は理想的
人それぞれいろんな生き方がありますが毒母の生き方は最良と思える生き方かなと思います。毒母はとりあえず結婚と出産をして社会的の普通の立場にもなれたし、お金は使い放題、最期は病死で寿命をまっとうしましたから。仏壇の遺影を見る度にこれほど人生を満...

 

 

保身と毒父を優先し娘のことは二の次だった

少額でも仕事の励みとなるはずの給料日の前後に、毒母から給料額以上のお金の無心がされるとなっては、いくら同居している身でも怒りますよ。だけど「生活の為よ、お金がないのよ、どう生活していったらいいの」と言われてしまっては貸さない訳にはいきません。実際は貸すではなくあげるですが。

 

あまりに腹が立って口を聞かない日が何回かあったのですが、被害者面で姉に相談もしていたようです。だけど毎月給料以上のお金を貸してとか言われて、にっこり渡す子供なんて富裕層か余程できた子供しかいないでしょう。怒るに当たり前です。

 

お金の無心についての記事はこちらです。

毒親のお金の無心が始まり貸したら最後。お金はほぼ返ってこない
毒親体験談の中でも毒親の無心をよく見かけます。生活費、自分の娯楽の為など無心する理由は様々ですが無心される側としてはたまったものではありません。お金自体も勿論ですが毒親へますます失望しますからね。私の毒親もお金の無心を数年していました。その...

 

額は正直大金と言うほどではないかも知れません。だけど親から無心された子はどんな気持ちになるのかが分からないことと、生活費と言いつつ娯楽に使っているのにどうしても腹が立ちました。しかも貸した分私の貯金は当然減ります。と言うことはこれから生活が苦しくなるのは分かりきっているのに無心を続ける毒母に、保身のためには娘のことなんてATMとしか思っていないんだなと呆れたし辛かったです。

 

亡くなる数週間前には毒父と仲良くねとか、姉へも秘かに借りていたお金を私が返していってほしいとか、無心していた事を自分が死んだ後でも毒父には言わないでとか色々頼んできましたが、私にしてみれば何を勝手なことを。毒母が毒父のわがままを増長させたんだし、毒父を嫌っていることを知っている私に仲良くしてとかよく言えるなと。

 

更になんであなたが無心していた分を私が返さなければいけないのかと怒りで一杯に。しかも最期の直前だから何も言える訳がないことを見越してのことに、随分卑怯だなとも思いましたよ。

 

毒母が亡くなる前の様子についての記事はこちらです。

毒母が亡くなる前の様子や葬式や葬式後の大変だったこと
今年で毒母が亡くなって今年で4年経ちますが、もっと年数が経った気がします。毒母の亡くなる前の半年間は本当に大変だった…自分でなけなしのやる気を使い果たした最期の年だったと思います。当時はブラック企業で人間関係ずたぼろの時期に毒母の余命宣告で...

 

 

まとめ

毒父の俺様ぶりを見ると、毒母が毒父にあそこまで尽くさなければここまで増長しなかったかもと思ってしまいます。本人は娘をしっかり育てたと思って逝っただろうけど、旦那の悪口と日頃のストレスのはけ口にされつつ毒父には従順と言う隷属ぶり、ストレス発散のための散財のツケの押し付け、毒母のお人形さん扱いのような過保護ぶりを思うと、毒父とは違った意味でしっかり毒を入れていってくれました。

 

自分の環境に不満があっての結婚だからこそ、娘には稼ぎ方や生き方の提示、家事などの生活力を教えてほしかったです。だけど実際は愚痴と不満が絶えないメンタルダメージ、お金の無心による経済力低下、家事の独占で生活力低下に。生きていく力と基本力を少しずつそぎ落とした毒母は残酷なことをしてくれたなと思います。

 

一応実家暮らしだけど1人暮らしと変わらない位の生活費を出したので、働いている間もほぼ貯金できず…毒母は娘相手だから甘かったんでしょうね。毒父もですが外部は気にするけど、家族内だとなんでもありと考える傾向にあります。親しき仲にも礼儀ありと言うのが決定的に欠けているんでしょうね。

 

毒父と共通していますが毒母には私を否定しないでほしかったし、お金のない惨めさを痛感しているからこそ自活の仕方とかを教えてほしかった。だけど依存型の毒母には毒父に従順する方法しか分からなかったんでしょう。強者に依存しない、生き方と稼ぎ方の基本ができている、冷静に考えて教えてくれるような母親が良かったです。

 

毒親うんざり
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