3月に入り、卒業式や合格、新たな門出への準備など春の始まりと世間はお祝いムードですね。けれど今までもお祝いとは無縁の私にとって春は夏とともに嫌いな季節です。
姪も先日高校の卒業式でしたが、天気予報を見た時点で唯一天気が悪い日だったので天気運が悪いなぁ・・・と切ない。
ところで卒業式は私にとって晴れやかなものではなく、とにかく安堵と屈辱の行事でした。
今回は私の小中高と専門学校の卒業式・・・と言うより卒業式後について(20年以上昔なので朧気ながら覚えていること)と学校について思うことを書いていきます。
暗黒の学校生活がようやく終わりほっとした
小学校の卒業式後は地元の公民館で(希望者か強制参加かは忘れたけど)、二次会みたいな集まりがありました。面倒くさいし参加したくはなかったけど、簡単な飲食と雑談で卒業の余韻に浸る気軽な雰囲気だし、小学校はまだましな学校生活だったのでとりあえず無難に終わりました。

中学校の卒業式は、これでようやく地獄の学校生活が終わると心底ほっとした覚えしかありません。他の人たちは打ち上げも兼ねてどこかで時間を潰すだろうから、唯一の親友も下手に外に居たら誰に会うか分かったものじゃないと同じ思いだったので、卒業式後の最後のHRが終わったら即帰宅しました。とにかく一刻も早く学校から離れたかった。

高校は中学よりましとはいえ終わってほっとしたのは同じです。ただ中学よりは僅かに余裕ができたので、ファミレスで親友とささやかな食事会はしました。彼女は卒業後には寮に入り就職するのであまり会えないだろうからと言う理由も兼ねて。
ちなみに専門学校は2箇所ともそれなりに楽しかったとはいえ、卒業式後はさっさと帰宅しました。

両方とも家から遠かったからもあるけど、結局は一般的な学校行事自体に染まれなかったと言うことでしょうね。
明るいイメージと現実の落差に屈辱
一般的に学校生活は華やかな雰囲気だからこそ、当時は実際の落差に凄く惨めでした。当時はサイン帳(友達同士で住所や電話番号、メッセージなどを書いて交換し合うノート)とか、寄せ書き、プリクラやカラオケも大ブームの頃。どれも青春謳歌前提のツールばかりでしたからね。生粋のぼっちの私には本当に惨めなものでした。
あと当時は卒業アルバムの表紙の裏に友達からメッセージを書いてもらうのが主流なのに、何もなく真っ白なのも屈辱でした。姉のアルバムには沢山のメッセージが書いてあるのを見ていたからこそ、余計に明暗を叩きつけられて精神ボロボロ。

即処分したかったけど、毒母がアルバムとか文集とかきっちり保管するタイプで、たまに整理して見直すから処分できないことも厄介でした。だから毒母亡き後にようやく処分できたのでほっとしました。

大人になった今でも学校は悪影響しかないと思う
学校卒業から20年以上経った今でも、学校に行って良かったことはひとつもありません。クラス中から標的にされて、中高だけでも6年間も公開処刑のような惨めな生活を何で送らなければいけなかったのか・・・。

生活や生きる為に必要なこと、人の闇や本質の部分は何も触れないで、美化や改ざん、隠蔽しまくった歴史、(私にとって特に)どうでもいい理数系、点数重視の詰め込み授業に何の意味があるのでしょうか。
あと机上の授業以上に何よりも嫌いだった体育。大半の苛め被害者にとってほぼ共通で地獄ともいえる授業なのではと思います。なにせスポーツと称して体の良い標的にするには格好ですからね。勉強以上に克服が遙かに難しい分野だから正直どうにもなりません。
足が速かろうが、跳び箱が跳べようが、マットで体柔らかろうが、大人になって特に役に立つ訳でもなく・・・。

運動なんて日常生活に支障がない位で充分なのに、体育の授業は今思うとまるで軍隊訓練のように思えます。
まとめ
私の学生時代はとにかく友達!青春!のきらめく雰囲気一色。ネットがない分身近以外の他の考え方を知る余地がないので本当に惨めでした。勿論今のネット社会もSNS等新たな攻撃媒体になるから、今の方が良いなんてとても言えませんが。
20年以上経っても嫌な記憶はしこりとなって残る分厄介です。だから学校の存在そのものに懐疑的です。確かに読み書きや簡単な計算等の必要最低限な知識は必要だけど、苛めのターゲットにされてまで通う価値があったかというと到底思えません。全く役に立っていないどころか、勉強=学校生活なので勉強が難しいからとは違う理由で、学校や勉強そのものに今も拒否反応が半端ないです。
加害者たちの顔や名前等は殆ど覚えていないけど、地獄の学校生活を送ったことは恐怖や屈辱としてずっと心に巣くっていて消えることはありません。だけど加害者や傍観者達にとってはごく軽いことか、悪いことと思っていないか、そもそも忘れているんでしょうね。