去年から今年へ開催延期になったオリンピックは、ニュースも流し読み程度なので分からないですが、開催するしないどちらの方向でしょうか?未だに開催に拘っているんでしょうか。今年は控えて2032年?を目指す意見もあったとか…どれだけ開催したいんだか。只でさえ災害などの危険だらけの国なのに利益だけ注目する人たちが訳分かりません。
以前にも書いたかもしれませんが私は幼少から運動が大嫌いです。だから日本中が!感動!と騒ぎまくるオリンピックをはじめスポーツイベント自体も基本興味ありません。スポーツ漫画すらほぼ読まないのでハイキュー!!が唯一はまったスポーツ漫画でした。
運動嫌いの理由は単に動くのが嫌いと言うほかに、学校でいじめを受けたからが大きいです。今回は運動嫌いになった原因と学校の存在理由について書いていきます。
引用元:Elena RogulinaによるPixabayからの画像
屈辱でしかなかった学校の体育の授業
苛められる要素の一つに運動が苦手、嫌いと言うのも大きいと思います。特に学校では勉強より運動が出来ない方がよりいじめの標的になってしまいやすいです。
私は幼少からぽっちゃりで中学校時からは標準より10kg多い位でした。体型は生来運動嫌いもあると思いますが、毒母の毎日大盛り食事も大きいと思います。
家での食事についての記事はこちらです。

運動しないのに大盛りではいくら燃費が良い10代でも太りますよね(毒母亡き今自炊してからはバランス無視だけど量は減ったので標準体重そこそこには落ち着いています)。
だから小中の体育時のブルマ―姿や水泳の水着など体型丸出しの姿からして嫌でした。
他にも頻繁にあるペアやグループ作り等の時のいたたまれなさ。授業自体も特に順番に皆の前で1人1人行う器械体操などが特に嫌でたまりませんでした。ミスをする度に先生からは怒られるし、皆からは笑われるし、おまけに私の時から男女混合になったので、特に男子からの苛めが助長しました。
体育をやる位なら勉強も嫌いだけど他の授業を1人でずっと受けるかペーパーテストの方が余程マシだった位です。勿論運動のメインイベントの運動会や体育祭は練習から苦痛だったので数か月にわたり苦行でした。
只でさえ嫌いな運動を克服して見返すなんて出来る訳がない
一応担任は一緒になって苛めることはなく色々話を聞いてはくれました。だけど「運動が出来ないなら少しでも練習して皆を見返してやればいい」と言われるのが辛かったです。誰にでも苦手や嫌いなことはあり克服となると好きな物を上達するより遥かに大変なはず。まして運動の克服は基本外でやることになります。誰かに会う可能性が高い外で、ましてや皆に笑いものにされるなどのトラウマを抱えながらとても克服する気力などありませんでした。
更に苦痛だったのは毒母から毒父に相談されたのか、休日にたまに毒親と地元を離れた大きめの公園でバレーボールのパス練習やバトミントンをする羽目になったことです。バレーやバドミントンなのは手軽にできる運動を選んだからでしょう。
毒母は運動出来ないので見ているだけで、毒父とマンツーマンに。外へ出る、運動をするとストレス発散やいいこと尽くめの信仰が強かったので、毒親なりに元気を出させたかったのでしょうが、私からすると運動嫌いと親への不信感に拍車をかけただけです。不登校は恥で本人が悪いとしか思わない親なので、元気がない子供に向き合った良い親感を出したかったんでしょうね。
毒父のいい親、いい家族幻想についてはこちらです。

週5日耐えた末にようやく訪れた休日に学校生活の中でも大嫌いな運動を毒父としなくてはいけない。更に修学旅行と同じく満足したと言う嘘の感想や演技もしなくてはいけない…接待風の罰ゲームですか。
学校は国や社会の洗脳施設
勉強以上にトラウマになった運動。因みに高校卒業してから運動らしい運動は殆どしていません。勿論学校のように一斉の運動の機会なんてないです。だからトラウマにさせるほど(体育だけでなく)以前の記事通り学校が必要だと到底思えません。
確かに運動をまるでしないのは動きにくくなったり疲れやすかったりとデメリットはありますが、個人のレベルに合わせて各自で運動すればいいし一斉にやる必要は全くないと思います。運動大好き学校大好きな子は行けばいいし、逆に苦痛な子は別に方法を見つければいいだけのことで、我慢して通い続けて大きなトラウマを抱える方が余程問題です。
私の学生時代はネットがない時代なので、今より更に親と先生の大人絶対の風潮ですからね。口をそろえて学校へ行け、そんなことでどうする、お前が悪いが定文句を出されては、嫌でも学校に行かなければいけないしか頭にありませんでした。
振り返ると学校は国や社会に都合のいい子になってもらうための施設と言うか監獄のようにしか思えません。だから学校が無くなる可能性は低いでしょう。もし学校が無かったら国や親の洗脳力が低くなることで都合が悪くなる面が多いですしね。
基本学校なんていらないと思うことについての記事はこちらです。

学校がない時代も大変だったでしょうし、いじめや迫害も当然あったでしょう。ですが特に昭和世代がよく口にする昔は良かった等の賛美言葉や、今も蔓延るいじめ被害者も悪い論、加害者がのうのうとしている様子を見たり聞いたりするだけで強烈に嫌悪します。
加害者や傍観者には冗談や軽い気持ちで取るに足らないことだろうけど、被害者にとっては一生もの、場合によっては命を絶つほどの苦痛だと自分の身になっての想像ぐらいして頂きたいです。
まとめ
学校でのことを連続で書いていますが正直胸がえぐられる感じです。書かなければいいんですが忘れたい過去や記憶程忘れられないし、貴重な吐きだし場所として書いています。忘れろ、もう終わったことだし前を向けと言っても、過去が積み重なって今の自分があるのですっぱりと割り切れる訳がありません。だから深い傷になってしまうと心底の前向きや上向き思考になるには、もう記憶を消すくらいしか方法無いんですよね。
スポーツ(選手)を苦手な理由はキラキラ雰囲気が強く、辛い練習にも耐えた!克服した!団結!絆!とか私にとって地雷ワードをバンバン投げつけてくることが多いからです。大変な思いをしてきたのは分かるけど素直に尊敬とか好感はしにくいので、はいはい、ご立派ですね~凄いですね~と流したい。
学校は本当洗脳施設で恰好の公開処刑の場と思います。すべてに時間や優劣が決められて外れると皆から袋叩きですから。特に幼少や若い頃に自分が悪いと植え付けられてしまうと、割り切るか別の道を探せたらいいけど、劣等感のどん底になるか必死に皆に追いつこうとして疲れ切ってしまうか等自分が壊れてしまう可能性が高いです。だから個人的に学校が苦痛で仕方ないならば行く必要がないし、その分を他にあてた方が余程いいと思います。
大人になった今でも、至る所での運動は大切!と言うワードを聞く度に当時のことを思い出してしまうほどに運動が嫌いです。子供神聖思考も相変わらず根強いですが子供も十分残酷ですよ。必ず集団で自分より弱い子と劣っている子をフルボッコですからね。
個人個人性格も能力も全てが違う子どもたちを一斉に集める学校。よほど根底から考えが覆ることがない限り残念ですが学校のいじめが無くなることはないでしょうね。まぁ大人、それこそいい年の大人が率先していじめ謳歌してしまっているから子供も腐るのは当然かなと。自分たちは醜態さらしておいて教育とか子供を守るとか言っているから余計にタチが悪いし目も当てられないし心底軽蔑します。