毒母が亡くなる前の様子や葬式や葬式後の大変だったこと

毒親
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今年で毒母が亡くなって今年で4年経ちますが、もっと年数が経った気がします。毒母の亡くなる前の半年間は本当に大変だった…自分でなけなしのやる気を使い果たした最期の年だったと思います。当時はブラック企業で人間関係ずたぼろの時期に毒母の余命宣告でしたから…。辞めたくても辞められない状況の中でなんとか仕事と毒親との対応をしたから、私にとっては本当に良く頑張った(自分で褒めます)

 

毒父に関しては思いっきり書いているけど毒母に関してはあまり書いていないなと思い、毒母が亡くなる数か月前のことと亡くなった後のことを記憶の限り書いていきたいと思います。毒親に関してのことの為普通の親に対する心情とかは全くないのでご注意ください。

 

引用元: dronepc55さんによる写真ACからの写真

 

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毒母がすい臓がんになった

毒母は病院嫌いではあったものの自分なりに健康を考えて内科で血液検査を定期的にしていました。そして血液検査の結果を聞きに行って帰ってきた時に私、死ぬかもしれない…と青ざめた様子で言いました。なんとなく毒母が病気になる、亡くなるとは考えもしなかった私は何の冗談言ってるのと思いましたが、冗談ではなく本当でした…。すい臓がんの疑いがあるとの事で紹介状を持って総合病院へ

 

すい臓がんになる前の様子

すい臓がんと分かる半年前位です。少し毒母の様子がおかしいなと思ったのは背中が痛いと言い始めたことから。背中とただ言われても勿論私には痛みが分からないですし、当の本人も筋肉痛か何かかなと思いアンメルツなどを塗ってう~ん、良くなった気がするみたいで塗り薬でしのいでました。すい臓がんの予兆かどうかは分かりませんが、もしこれが予兆なら塗り薬で治る訳ないですが、当時は筋肉痛にしか思っていなかったので軽くお互いに流していました

 

そして毒母は便通がよくて便秘とはほぼ無縁だったのですが、1週間くらい出ないと言いました。食事量自体は変わらないので、歳だからじゃない?とこれも軽く流していました。便秘薬を飲んで少し改善したようですが、今までよりはるかに便秘の症状が大きく毒母自身も戸惑っていたようでした。

 

本格的におかしいと思ったのが食事面で食事があまり喉に通らなくなってきました。毒母は食欲旺盛なので余程のことがない限りは食欲減退はなかったのですが、あまり食べたくないしなんか味が分からない…と言うようになりました。

 

そして今まで体重減少知らずの毒母の体重が一気に5kg以上減少。おかしいな、こんなに減る?病気じゃないかなと本人は不安がっていましたが、丁度その時真夏で暑さが厳しかったし元々高齢者の多くは食欲減るので、却って体重減ってよかったねと喜んでいた位でした。まさか…癌とは思わなかったんですよね。

 

癌は日本人の2人に1人がなる高確率の病気ですが、お人よしで楽天家の毒母は長生きするだろうなと漠然に思っていましたから他人事でした。ですが総合病院でも付添いの姉によるとすい臓がんで余命半年から1年とはっきり言われたそうです。…今患者に余命ははっきり言うことに驚きました。

 

すい臓がんと分かってから亡くなるまで

すい臓がんと分かって医者からは延命をするかどうかを聞かれましたが、毒母自身はまだすい臓がんで死ぬことが考えられず延命をしたいですと即答

 

毒母の返事を聞いた途端、私の頭にはお金のことが。…非情なことですが延命の治療費ないんだけど…とまずそのことが頭によぎってしまいました。ただ本人が生きたいと思っているので周りが諦める訳にはいかず、毒父が毒父の姉にお金を援助してもらい亡くなるまでの治療費は大丈夫になりました。でも正直お金のことを考えたくなかったし、毒父の親戚も殆どが会いたくないレベルだし借りを作りたくなかったんですよね…。毒父は全く気にしない性格だからいいでしょうけど。

 

それからは毒父と姉と私の3人がかりで毒母の通院や食事などの世話をすることに。毒母は日常生活自体はほんとに亡くなる数日前まで出来ていたし生きると言う意地もあったんでしょう。だから殆ど介護らしいことはそこまではなかったけど、目の前でどんどん弱りきっている毒母の様子を見ることがきつかったですね。

 

亡くなる数日前にヘルパーさんの見立てであと数日だろうと聞かされ、本人もさすがに最期が近いと分かっていたのでしょう。自宅のベッドから殆ど起き上がれなくなりました。自宅か病院かを聞かれましたがこれも毒母の意向で自宅に。病院へ最後の救急をされる数日前に毒母から衝撃的な発言をされました。

 

実は姉から170万円の借金をしているから少しずつ私から返してほしい。毒父には言わないでほしい。そして私が行った後毒父と仲良く暮らしてほしい。

 

はぁぁぁ!??と思えるようなことを意識朦朧で言ってきました。…いや、170万円の借金って私以外にも姉にも借りていたの?なんで私が返さなくてはいけない義務があるの?毒父には言うなってこれ私だけが知っている苦悩になるってこと?毒父は何も知らず??挙句にあなたがうんざりしていた毒父と仲良くってできる訳ないでしょうが!!!

 

という思いで一杯になりましたが、余命間近の毒母に流石にこれを言うわけには言わず了承したけど、内心はぁぁぁ!!でしたし、自分がもうあの世へ逝くと確信してから都合の悪いことを言うってどうなのさ…と、癌の激痛に必死で耐えている毒母を見ながら冷めた目で見てしまい私の方が叫びたいよと思ってしまいました。こんな心情を言ったら確実に人でなし扱いですから誰にも言えません。

 

亡くなってから葬式中でも悲しみはなかった

毒母が亡くなりその後は病院から即遺体を葬儀社へ運ばなくてはいけません。その前に遺体にメイクをして綺麗にしてあげたり看護士さんにしてもらったのですが、その時遺体の垢が沢山だったようで…え、お風呂に入れてあげなかったの?と言われたのがショックでした。

 

お風呂に入れないほどの激痛だったから体拭きシートで拭くしかなかったんですよ…。ヘルパーさんにお風呂を頼んだ時はもう病院へ搬送状態になってしまったし。まるで意地悪でお風呂に入れなかったような感じで。思っていてもそんなこと言わないでほしかった。未だに姉と共に心の傷です。

 

葬式の相談は毒父と姉と3人で。お通夜や葬式の連絡は毒父がして、日常のことを私と姉でと分担をして通夜と葬式へ。通夜当日は姉と2人で遺体とともに安置する会館で泊まりました。毒母ではあったけど性格自体は普通の他人だったら嫌いではなかったので、ごたごたが終わった時には胸に穴が開いた状態でした。哀しいと言うよりぽっかりと言うか…。姉は悲しみを毒母に伝えていたけどストレートに悲しまなかったです。号泣しなくても悲しくて当たり前と思われているだろうからあえて言いませんでしたが。

 

葬式も無事済みましたが、近しい人の葬式は本当大変です。これが好きな人だったら余計に呆然だろうなぁと…やらなくてはいけないことが山積み。特に毒父と相談しながらやらなければいけない(さすがに毒父を排除するわけにはいかないし)、嫌いな親戚と次々に会わなくてはいけないことと遺族だから一休みが全く出来ずに何かしら気をはっていなくてはいけないことなど。だから葬式が終わった時にはとりあえずほっとしました。

 

 

葬式後の遺品整理が大変だった

毒母の友人たちがお線香をあげるかもしれないので、その時の話の為にアルバムの準備や仏壇購入などをしました。もう知人は来ないだろうなと思う頃(亡くなってから1か月位は毒父の知り合いを含めて何人か来ました)、押入れの整理へ。毒母は片づけが一切できない人で3段ある押入れに万遍なく押し込まれている遺品を見た瞬間げんなり…。

 

誰もやってはくれないし、捨てていいかどうか聴いていたら片づけに参加しないのに捨てることに難色を示す人もいるから、面倒だから一気に秘かに片付けました

 

何年も前の不動産の賃貸資料(もう不動産会社が変っているのに何でまだとっていた?)

 

アルバム(特に姪っ子のアルバム数が半端なく写真だから少し処分に躊躇したけど、姉には姉の手元にあるようなので何枚か以外は処分。)姪っ子だけで分厚いアルバムが3冊とペーパーアルバムが50冊くらい…。処分するだけで大変でした。

 

食器(可愛いのや綺麗なのに惹かれるのは分かるけど買いすぎ…)

 

衣類(毒母が着ていた服は一応3回忌まではバッグに収納)

 

字だとあっさりですが、実際は全部本当にスッキリするまで3回忌までかかりましたからね。服以外は3か月位でしょうか。こんなに整理しても現金や埋蔵金などお宝が一切なしなところが…(苦笑)

 

 

金遣いが荒かったことが今でも許せない

故人の遺品で大変な物のひとつに通帳があるのですが、通帳の残高見てびっくり。家賃専用口座が家賃が引かれた翌日に即入れてはいるけど全く余裕がない。これ私から借金した分だよね…。

 

更に生活費口座はすい臓がん発覚直前が100円台の残金…目を疑いました。健康だったとしてもこんなお金の使い方でこれからどうやって暮らしていくつもりだったのでしょうか。多分私や姉にずっと借り続けていくつもりだったのでしょう。頼めば出してくれるよ精神ですからね。

 

お金だけで考えていたくはなかったけど結局お金は重要なんですよ。それをこんな出鱈目にしていて平気だった神経がちょっと考えられません。大体娘から借金したら娘の貯金がその分減ることには何も罪悪感を感じないところがおかしいです。逆に現金を渡さないとどうやって生活していけばいいの!と逆切れか、毒父に言えないよ…と泣き落としですからね。

 

毒母に対しては毒父の毒母に対する仕打ちが酷すぎるので、毒父ほど恨んではいません。それでもお金を使い込んで更にタイミングを計ったかのように使い切ってあの世へ逃げた感が半端ないので、今も素直な気持ちで仏壇の前に座ることがどうしてもできません。

 

毒親のお金の使い方のありえなさについてはこちらです。

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まとめ

毒母の癌宣告後の辛い状況は今でも思い出します。食べるのが大好きだったけど食べられなくなる…、毒母は生理痛以外殆ど病気知らずの人が苦痛でベッドの柱を掴むほどの激痛を目の当たりにすると、毒親でもざまぁみろとは思えませんでした。ただただ怖かったです。

 

確かにすい臓がんはサイレントキラーで予兆時の痛みはないみたいです…。そして発覚してからの進行が速いので、延命なしだったら数か月だったと思います。ただ余命宣告されてもっと生きたかったと思える毒母が羨ましいです。私と代わってほしいと心中で強く願っていました。

 

そして亡くなった後の葬式のやりとりのバタバタと、全てを終えた後の虚しさは半端ないですね。3年以上たった今は、ああ、そんなこともあったなぁと毒母の記憶自体は薄れていき、許すとかでなく色々なことが薄らいでいっています。あ、毒父が亡くなったら絶対に涙の一滴も出さない、嬉しさとほっとした感で一杯になることは確実です。

 

ですが困窮している今、なんであんなにお金を使い切ってしまったのかとどうしても恨まずにはいられないんですよね。今迄ありがとうと素直に見送れる母親と、これからは2人で何とかしないとねと協力できる父親が欲しかったです。

 

毒母よ、まだ私か毒父のお迎えには来てくれないのかな。まぁさんざん仏壇の前で恨み節しているし、前より仏壇の花を変える気力も無くなってきてしまったし、毒母の方もまだあの世に来ないでと思っているのでしょうか。でも4年経ったからそろそろ迎えが欲しい…。多少苦痛があってもいいから。そんな気持ちで日々を過ごしています。

 

 

毒親 うんざり
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