昨日今日と外は暴風で寒気も一段と厳しくなっている為いつも以上にコタツやカイロなどの温か物に癒されます。
ふと先日姉と給食の話題になったのですが、5年の違いでも食事内容など所々違う点がありますね。例えばご飯給食の回数は姉の時には学期に1回、私の時は月に2回と違いました。おかずは動物型のチーズとかもあったよね~と、姉の旦那さんは覚えがないようなので地域差もあるかもしれませんね。姪っ子世代のように現在の給食は結構お洒落にもなっているし私の頃とは方法や考え方が変わっている所も多いのかなと。
楽しい印象が強い給食ですが、本当は給食も苦痛だった私には、話しながらも嫌な記憶を思い出してしまい内心きつかったです。
今回は小学校から職場までの苦痛だった昼食時間を書いていきます。
小学校の給食当番では難しい食品の担当ばかりだった
給食当番の週は、午前中の授業後に割烹着に着替えて給食の準備をします。給食室から給食のワゴンを運び、おかずはパン(ご飯)、おかず2、3種類、スープ等。着替えた子から大抵早い者勝ちなので、当然楽な物から埋まってきます。この中ではトングで1個ずつ掴めばいいパンが人気で、1番難しいのはスープ。深底の鍋からお玉で具と量を均等に40数人分食器に入れなければいけないので難易度が高いです。
動作が遅い私は早めに着替え始めても後から来た子にどんどん抜かされ結局殆ど毎回スープでした。そして要領も悪い私には均等に配るコツがつかめず、量が足りなかったり余ったり具が均等にならなかったりになってしまうので、文句を言われたりよそり直したりと給食当番が嫌でたまりませんでした。ごくたまに早く着替えられてパン担当になりかけた時も、結局押しの強い子に代わられてしまったし。
しかも6年生になると1年生のクラスへ給食を配りに行くイベントが追加されるので、1年生の前で恥をかきたくない緊張感で、午前中は給食当番のことで頭が一杯でした。
着替えが遅かった理由の大元は割烹着のボタンかけが苦手だったからです。ボタンをかける動作をどうしても早く出来なかったんですよね…。特に割烹着のボタンはつるつるで掴むのでさえ難儀だったので。だから大人になっても極力ボタン付きの私服は着ませんでした。
小学校では食べるのが遅くて最後まで食べなければいけなかった
食べるのも遅かったので昼食時間中に食べきれないことが多かったです。だからお昼休みにかかって食べていた事も(他にも同じような子がいたかは忘れましたが)。残さず食べなくてはいけない、もっと早く食べるようにと先生に幾度注意されるのも嫌でした。
無事食べきれたならまだよかったのですが、無理やり詰め込んだ影響か、午後一の授業中に何回か吐いてしまい早退を何度か。幸い後日苛められることはなかったけど吐いた時は大騒ぎで、早退後も当然話題になっていただろうし、帰宅してからも惨めでなりませんでした。
小学校時から早く食べられなかったのは元々食道が良くないのかもしれませんが…、ここまで嫌な思いをして早く食べなければいけない理由とは何なんですかね…。速く食べる人は仕事も速いとかも訳が分からないし。早さを追求した結果品質低下にも繋がっていると思うのですが。
仕事の効率化や迅速化を過度に追求しすぎたのではと思う記事はこちらです。

小学校生活についての記事はこちらです。

中学校では昼食時間に限らず学校自体が苦痛だった
中学は弁当なので給食当番がなくてほっとしたものの牛乳当番はありました。午前中の授業が終わったら牛乳保管庫まで行って牛乳1ケースを取りに行き教室に置き、弁当後は空のケースを戻すだけなので給食当番に比べたら格段に楽です。
だけど牛乳当番は2人1組なので暗黒中学時代の私にはペアやグループ作業が大鬼門。一緒に組む子によってはサボられたり悪口を言われたりするので、凄く憂鬱でした。いっそ1人で出来ればいいけど結構重いしやらない訳にはいかないので、運ぶ最中に休みながら行ったか、態度が普通の子までならなんとか一緒にできたけど、心身ともにかなり大変でした。
牛乳当番以外も中学は学校生活で最も悲惨で苛められていたし、クラスも荒れていたのでゆっくり弁当を食べるような余裕は勿論なし。詳しい所はもううろ覚えですが無理やり詰め込んでから図書室とかで昼休みを過ごしていた気がします。それでも弁当なので給食より量が少ないし給食当番なし、食事は基本的に個別で自由だった分強制感は小学校よりはましでした。
中学校生活についての記事はこちらです。

高校では班ごとに食べることが苦痛だった
高校は牛乳も無くなり完全に自由に。弁当持参以外にも購買や近くのコンビニで買うなど色々な形で食べる子が多かったです。行動が遅い私は買い物の余裕もないので3年間弁当でしたが。
高校では目立ったいじめはないものの、近くの席の子同士何人かで机をつけて一緒に食事をするのが苦痛でした。他の子と一緒なだけで気詰まりなのに、高校生の定番の話題、恋愛やお洒落やダイエット、テレビや芸能人等の話に全くついていけなかったからです。
私が好きな二次元の話なんて逆に敬遠される位だし、聞き役に徹するしかありませんでした。当時はリンゴダイエットなどの単品ダイエットが流行り多くの女子がリンゴのみの弁当の中で、太目なのに自分はしっかりと弁当を持ってきたいたたまれなさも忘れられません。
高校生活についての記事はこちらです。

印象が悪いけど孤食が私には楽
職場でも基本的に集団なので、話題がテレビ関係は健在の上に愚痴と悪口、自慢とディスリが多くなっただけで、学生時代から昼の時間の憂鬱さは続きます。またお茶当番もある職場では仕事中に合間を見てポットにお湯を用意したりテーブルを拭いておいたりなど、内容より出来を指摘されないかと圧力が半端なかったのでやはり昼食時間そのものが苦痛でした。だから会社で仕事より昼食時間が苦痛と言う嘆く人の気持ちも良く分かります。
職場でのお昼休みについての記事はこちらです。


また家での食事も以前書いたとおりあまり楽しいものではなかったので、毒母逝去後の今の孤食が皮肉にも1番ゆとりを持って食事をしている気がします。
家での食事についての記事はこちらです。

家での毒父の存在はとてもきついですが、基本的に家でも外食でも1人なので時間も内容も自由ですし、人の目を気にせず食べられるのは本当に気持ちが楽です。孤食は良くない、皆で楽しく食べましょうと言われますが、孤食も悪いことばかりではないと思います。少なくとも一緒に食べるメンバーによって大分違うし、1人で食べることが落ち着く人もいることを知ってほしいです。
まとめ
今では居残り給食とかはないのでしょうか。私のように集団行動が苦手で動作が遅い子にとっては、集団行動が占めて速さも求められる学校は給食時間も含めて殆どの時間が苦痛と思います。それにしても早食いが一体何の得になるんですかね…。しかも食べられる量も減らすことが出来ないから拷問です。だから今は禁止?されている早食い番組とかも全く見られませんでした。
大人になった今も毒父や姉のように食べるのが速い人との食事が苦手です。早く食べ終わって待っているのを見ると早く食べなければと焦りますし、当然食事の味も分からないから至極勿体ない。姉は同じくゆっくりの姪っ子相手が多いこともあり、はっきりとせかすことはしませんがやはり一人の方が気は楽です。
因みに毒父には昔は遅くまで食べているとバカにされてきたし、今はせかす言葉こそ言わないけど早く食べろと態度での圧力が半端ないので、一緒に食事しなくてはいけない時は本当苦痛でした。だから一人で外食が好きな理由のひとつに自分のペースで食べられる以外に、定文句でも店員さんの「ごゆっくりどうぞ」のにこやかな挨拶には本当癒されるからがあります。
給食時間は苦痛でしたが、(今に比べると質素な内容だろうけど)給食自体は色々な料理があって好きでしたね。デザートも季節に合わせて色々出て、ひな祭りのひし餅型のゼリーとか印象的でした。
それにしても改めて幸薄い学校生活で虚しくなります。孤食が落ち着くのは本心ですが、昼食に限らず10代のメインの小学校から高校まで、あれだけ色々なところで賛美される若い年代だから、ささやかでも楽しい学校生活を送ってみたかったです。