最も生きていたと実感できた専門学校時代

日常
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40年以上生きてきて最も充実していた、頑張れた時はいつかなぁと思うのはやはり専門学校時代の18歳から20歳でしょう。(漫画系の方ではなくもう一つの専門学校です)2年で短いし今から20年以上前で古い!ですが。当時は私なりに挑戦心が強く今思うと良く出来たなぁと思うことばかりです。

 

今回は専門学校時代の出来事を書いていきたいと思います。

 

引用先:Michelle MariaによるPixabayからの画像

 

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地元から離れて今までをリセットしたかったので遠くの専門学校を選んだ

中高と暗黒期だったので少しは楽しい学校生活を送ってみたかったんですよね。だから高校卒業は嫌な思い出ばかりの地元をとにかく離れたい一心でした。同じような心境の親友は寮付きの仕事を選んだバイタリティでしたが、私にはそこまでの精神はないので地元外のできるだけ遠くの専門学校を選ぶ位が精一杯でした。

 

大学は大学受験の過酷さにうんざりで受ける気がしなかったのと、専門学校という響きが就職に役に立ちそうと言う単純だけど私なりに現実を見据えた結果専門学校を選ぶことに。

 

将来は食に関する仕事が希望でしたが、調理師は器用さと根気が大事で腰が引けてしまい、調理より栄養関係に重きをおく栄養士の道を目指しました。色々な学校のパンフレットを見て自宅から片道2時間と言う過酷な通学時間ながらも、地味な校風が逆に興味を引き選んだ専門学校。

 

ここなら流石に地元の人はいないだろうと踏んでいたのに1人いたのは大誤算…。会った時には思わず頭が真っ白でしたが、幸い卒業まで大きな影響はありませんでした。

 

 

過酷だったけど新鮮で楽しかった学校生活

通学片道2時間かかるので余裕を持っていく為に、毎朝6時そこそこの電車に乗り2回乗り換えはかなり過酷でした、今まで一駅の通学だったのに一気に遠くに。眠くてたまりませんでしたが、自分で決めたことだしそれ以上に都会通学が新鮮でたまらなくて楽しかったから2年間ほぼ欠席なしでした。

 

授業数も結構ありましたね、20科目くらい?大嫌いな化学系の授業もあるし勿論テストもあり。基本的に勉強が嫌いな私は追試を受けたくないので勉強はしっかりとしたので、追試は2年目の最後の最後に1教科だけで後は1回パスでした。追試代も1,000円単位で取られるのが嫌だったし。消極的理由だけど今でもよくほぼテスト1回で合格したなと思います。

 

更に実習もありました。小学校の給食や病院の病院食は過酷でしたよ~。行くだけでもきつかったのに慣れない現場調理で、特に病院は大病院でタイムスケジュールが容赦なし。炊飯や野菜切り、洗浄など色々なことをてきぱきとだから、とろい私にはついていけない時には変わってもらいましたが一応実習を無事こなしました。

 

小学校実習は結構楽しかったです。一応お客さん扱いなので調理員のおばちゃんも優しかったし子供も結構可愛くて、特に小学校低学年は小さくて無邪気な子が多かったなぁ。教室で一緒に給食を食べましたが小さい机といすも懐かしかったですね~。中学年が難しいお年頃の為か1番淡々としていました(笑)

 

どちらも1週間くらいでしたがハードで体重一気に減ったほどだけど達成感がかなりありました。病院も学校も食べ物関係は当時より更に厳しいだろうから本当大変だと思います。病院実習では看護士さん皆休憩のとき疲れた時に寝ていましたし…。

 

 

学校と並行してバイトもこなしてとにかくチャレンジした

大変な学校生活なのになんとバイトもしました~。さすがに平日は無理なので土日祝のみの喫茶店の接客。バイトもやってみたくて、ほとんどが平日もOKの募集だしチェーン店のような接客は絶対無理と分かっていたから、家庭的な喫茶店で条件が合う場所を見つけて面接後採用されました。

 

徒歩で行けるし雰囲気は和やかで賄は美味しいしと良いバイト先でした。人間苦手な私にも何とかできた接客です。接客の仕方も個人店ならではで寛容でしたし時給もそこそこ、エプロンなので動きやすくラフで良かったです。残念ながらその店も今年で閉店してしまいましたが、休日のみとはいえ唯一出来た接客業でした。接客業はお客さんの動向が結構面白いので余裕がある場合はやってみて損はないですね。

 

あと学校での人間関係も良好でした。同じ趣味の友達も出来たし暗黒学生史の私には毎日友達と離す状況が夢のようで…寄り道も楽しかったです。卒業後今まで人間不信に拍車がかかり結局は縁が切れ誰とも連絡を取っていませんが。一時でも友達ができたのはとても嬉しかったです。

 

 

やりたい事はやっておいた方がいい

2年間の専門学校生活を経てとった資格ですが結局は栄養士では働きませんでした。募集はあったけど朝イチの過酷さとおばちゃん達など人間関係の恐怖が勝ってしまったので。役に立たない資格に時間とお金を費やしてしまいましたが、自分がやってみたかったことですし、やらなかったらずっと挑戦していれば良かったと悔いが残ったと思います

 

接客バイトも良かったし40代の今言えるのが、若い時にできるだけチャレンジしておいた方が絶対いいです。今同じことをしろと言われても不可能ですから。たまに高齢者で大学生の方もいますがごくまれで多くは若い時こその経験です。犯罪以外は忍たまの歌にもあるようにやりたい事やったもん勝ちです。

 

振りかえって改めて思うのが本当学校生活に憧れていたんですよね。人間苦手ではあったけどまだ希望を持っていたからこそ挑戦できた2年間と思います。

 

 

まとめ

栄養士になるにはかなりの授業数をこなさなければいけないので結構大変です。当時より今がどうなっているか分かりませんが。それでもその時自分がやりたい事を目指して良かったと思っています。

 

人生100年とか何歳でもやり直しは出来るとかありますが、若いうちにできるだけ色々なことをやっておいた方がいいのは断言できます。人間いつどうなるか分かりませんし、やりたいことをやっておく方が失敗しても自分で選んだと納得できますから。

 

犯罪以外は基本自分が思うことをやるのが1番と思います。選択によっては周囲に反対等されるかもしれませんが結局は自分で決めるしかないです。だから自分の道を迷っている方、自分には無理だからと諦めた方、周囲に反対された方、特に若い人たちには自分の意志を貫いてほしいなと思います。

 

 

 

 

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