父親の立場と経済力で支配する毒父

毒親
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今年ももう11月ですね。毎年騒ぎが懸念されるハロウィンも今年は静かめだったかなと。家では部屋の消臭をラベルが可愛かったのでハロウィン仕様のものにして、インスタントかぼちゃスープを飲んだ位の細やかなハロウィンを過ごしました。

 

毒父との同居には相変わらずうんざりの毎日ですが、毒父のことは幼少からもうすでに怖かったんですよね。声は大きいし威圧感が半端なかったし毒母への王様対応も間近で見てきたので。今回は毒父へ嫌悪感を抱いた出来事について改めて書いていきます。

 

引用元:Steve BuissinneによるPixabayからの画像

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家では常に毒父一強

幼少の頃から家での毒父は父親様状態でした。特に男尊女卑の塊のような人ですから、妻と娘しかいない家では天下です。毒父の世代は余程のことがない限り多くの人が安定した収入を得られた時代なので、俺のおかげで食えている、俺のおかげで住んでいられる、お前らは俺が父親で幸せだぞ、と今では地雷発言が当時は父親の強さの象徴だったんでしょう。

 

毒父の気質や育ち方についての記事はこちらです。

毒父はイージーモードの人生
人生はゲームと同じくハードモードとイージーモードがあると思います。精神論支持の方には分からないと思いますが、個人の努力だけではどうにもならない運や環境などは大きく関係すると思います。

 

日常の態度も俺様気質が凄くて人が嫌がることを面白がる狭量な人でした。お風呂は必ず1番風呂、出た途端お風呂場のすぐ傍に全員居るのにわざわざ「おーいお風呂から出たぞ!」と言う、雷が大嫌いな毒母と私を面白がって雷が鳴っている時にもカーテンを閉めずに窓を開け放しにして雷が丸見え状態で笑うなど、ひとつひとつは小さいことでも私にとっては半端ないストレスです。

 

毒母や姉が内心はどう思っていたかは知りませんが、私はこれだけの発言と態度下で生活してきたので、毒父は偉い、毒父に逆らってはいけない心情になり、絶対王者の恐怖の対象でした。だから幼少から今に至るまで軽やかな会話や生活をした覚えはありません。

 

特に工場が閉鎖してからは悔しいことに一応非正規でも働いていた私よりも毒父の年金が最大で経済力ではずっと毒父が独走状態。だから「俺が死んだらお前たち(毒母と私)は生活保護か市営住宅だな」と事あるごとに言っていました。生活保護や市営住宅そのものではなく、そんなことを鼓舞されて言われた方が哀しい気持ちになるとか何も想像できない毒父に過去も今も嫌悪感しかありません。

 

あと事あるごとに俺は後数年で死ぬ、長生きしないが口癖です。俺を大事にしろ、俺はすぐ死ぬからどうでもいい、俺が死んだあとはお前たち大変だなと言う圧力をかけたかったんでしょうが言われる方はうんざり。因みにもう10年以上前からあと5年で死ぬと言い続けていますが、毒母より長生きじゃねーか!と内心突っ込んでいます。本当に不死身の魔王かもしれません。

 

 

家事も子育ても毒母任せ、ずっと傷になっている言葉

毒父は多忙な時には早朝に出て夜遅くに帰ってくるほど働いていましたし、当時は今より男は仕事、女は家のことが一般認識でしたから、毒父ももれなく仕事人間で家事も子育ても毒母任せでした。

 

家事は一切やることなく特に食事の時には毒父の好きなおかずを別に用意する時も。ご飯のお代わりすら自分でしないで毒母任せ、お酒大好きなので食事前におつまみの用意も必須。毒父の席は固定されていて席に着いた途端に毒母が用意をすると言う、レストランのようでした。

 

家での食事についての記事はこちらです。

家での食事も苦痛だった
毎日料理するのは本当面倒くさいですよね。手抜きが多いとかいちいち文句をつける人も居るらしいですが、じゃぁあんた買い物から後片付けまでやってみろよと言いたいです。やる側になってみないと絶対に面倒くささは分かりませんよ。

 

相手の気持ちを推し量ることが出来ない毒父が子育てに関わる訳がなく、良く言えば比較的自由にしてもらったけど悪く言うと毒母に任せきり。だから10代は毒父とまともに会話を交わしたことがありませんが、大人になってもずっとしこりになっている言葉があります。

 

以前の記事にも書きましたが中学時代には酷いいじめにあいました。

学校に行きたくないと言って分かってくれる親はごく少数と思う
学校のいじめ問題が取り上げられるたびに加害者側の残酷な仕打ちに怒りを覚えます。実名報道をして同じ目にあわせてやればいいのに。だって自分がされても平気と思っているから相手にしかも複数でしているんでしょう?更に学校や教育委員会の多くが呆れるほど...

 

当時は今よりも更に被害者にも原因がある風潮で、中学時代の不登校は恥と言う認識。だから登下校も怖くて毒父に家まで車で送ってもらうこともあった帰り道のことです。

 

学年中で標的にされた私は既に人間が怖くて、元々内向的だったのが余計に口を聞かなくなっていました。毒父なりに心配したのか学校に行きたくない理由と喋られない理由を聞いてきましたが、言っても分かって貰えないだろうな、言ってなお拒絶されたら怖い恐怖心で結局何も言えず…。

 

すると毒父は聞いても言葉を返さない私にイラついたのか呆れたのか、「これじゃ苛めたくなる気持ち分かる。」と一言ボソッと言ったんですよね…。

 

保身と根拠なき自信が強い毒父のことです。当時言われた直後に抗議したとしても、そんなことは言っていない、お前を責める気持ちで言ったんじゃない、あいつが勝手に勘違いしたんだ、あいつがおかしいとか言うんでしょう。それに言った本人は軽口でも言われた方は酷いと一生残ります。

 

まして狭い世界観しかなくネットも無いからリアルしかない当時の10代で学校が敵の中、自分を肯定して欲しかった親が加害者側に立った一言で絶望に叩き落とされました。特に酷かった中学校時代と学生生活になじめなかった高校時代は本当に地獄の6年間でしたよ。

 

 

異常な位の家族信仰だけど自分を持ち上げない相手は強圧か切り捨て

毒父は家族だから、家族は素晴らしいと思い込む異常な家族信仰者です。多分自分がトップでいられる組織だからでしょう。だから自分に味方や肯定する家族は認めるけど反対意見等を言われた途端に激怒します。毒母がお父さんを怒らせないようにとの姿勢だったし、私も怖かったので否定する時もやんわりめで殆ど服従態勢でしたが、毒父にはっきりと拒絶否定したのは毒母が亡くなった後に毒父との同居に限界があり一人暮らししたいと言った時です。

 

同居ストレスで一人暮らしの準備と切り出した頃の記事はこちらです。

毒親は自分から子供が離れていかないと完全に思っている
独房の周りの世界では疫病で大騒ぎですが、絶えず毒親の毒を受けている私には疫病が収束してもしなくてもがあまり関係はなく、絶望無気力デフォルトで過ごす日々です。

 

毒父はまさか反抗されるとは思ってもいなかったのでしょう。「俺はひとりでもやっていけるし自由にすればいい。その代わり出て言った瞬間お前を家族とは思わない。敷居をまたがせないからな」と言いました。

 

…こんなもんですね。仕事を離れた今では数少ない偉そうに出来る対象が毒母亡き今私しかいません。だから逆らうとは思ってもみなかった相手から言われた途端に激怒し、あっさり切り捨てですよ。毒父の異常な家族信仰は自分がトップでいられることを守れるからこそで、相手の気持ちなんて想像もできないんだなととどめを刺されました。

 

ここまで言ったんだから普通なら喜んで念願の1人暮らしに挑めるはずが、結局は毒父との同居を不満と我慢でしている自分が心底情けないし悔しいですが、生活力を得られなかった完全なる敗北として仕方がないんでしょうね。

 

 

自分のことは被害者面して毒母と私のことを悪く他人に吹聴した

東日本大震災が起こる前月に祖母(毒父の母)が亡くなりました。あれからもう9年以上も経つのに未だに覚えていることがあります。毒母のことも好きではなかったけど、あまりに日頃の毒父の暴君ぶりが酷い時には毒父に対して意見や抗議もしました。でも毒父は「お前ら組んでがるな」と言い放ち、自分のことは一切顧みないので全く意味はありませんでしたが。

 

そして祖母が亡くなった後の法事で親戚が集まる中、私は生理痛で行きたくなかったけど法事だからと強制参加。誰かも分からない親戚たちが集まる中で毒父は家の話題になったのか、「俺は男一人だからいつも小さくなっているんですよ」と親戚に吹聴。…どこが小さくなっているんだよ!と聞こえた途端怒りを覚えましたが、親戚の1人から「今は女性が強いからね~君もお父さんを大切にしなくては駄目だよ」と説教されました。

 

…誰だか分からないけど余計なひと言を聞かされたことで心身的にも絶不調になり、不愉快な気持ち満載で毒母に話して式場を途中退場しました。毒父にとってみれば同性が居ない家族の中で孤立感があったかもしれませんが、その分暴君に君臨しておいてどの口が言うか!ですよ。

 

毒父は自分が言ったことは棚に上げるのに、自分が否定された途端根に凄く持ち被害者意識が強いちっぽけな人格なんだなと改めて思いました。

 

 

まとめ

毒父は一言で言うと俺様なんですよね…。男は女より偉い、家のことは女がやるもの、俺はいい父親だ、俺の為に動けの考えで凝り固まっていますし今でも毒父は怖いです。俺がここまでしたんだから感謝しているに決まっている等、自分目線でしか考えられない全く話が通じない人ですから。

 

本人は良い父親面の影で恐怖政治を強いてきたので凄くタチが悪いです。100%暴力的な分かりやすい毒親ではなく、一応衣食住は提供しつつ心の完全支配をしてきた毒父と言うのは凄く残酷ですよ。他人には分かって貰いにくいタイプの1人ですから。

 

心底不思議ですが毒父のような俺様気質のタイプは仕事に専念できたのは他の面倒事をやる人がいたからとか、我慢して聞いてくれる人がいたからとか、いつか誰も居なくなるかもしれない恐怖とか思うことがないんでしょうか。

 

毒父は姉が生まれる前?結婚直後位に結構重い病気にかかり命が危うかったらしいです。その事も常に俺はあの時に死んでいたかもしれないなぁと声高に言っていましたが、その時に本当の父は逝って魔王が降臨してしまったか、病気の後遺症で魔王化してしまったのかと割と本気で思っています。正直毒父が亡くなっていれば私も生まれてくることなかったのに、生命力高すぎるんだよと話を聞く度に苦々しかったです。

 

こんな毒親の元に本当産まれてきたくなかったです。毒親に限らず毒持ちは根拠なき自信が一体どこから来るんでしょうね。自分の毒に気が付かないところが更に悪質ですが、ドラえもんの名言が沁みます。ジャイアンの歌に嘆くのび太君に「フグが自分の毒で死ぬか?」とドラえもんが言いますがまさにそのとおりです。人間に限らず毒持ちの生物自身は大丈夫だけど、毒を振りまくからこそ毒体質なんですよね。

 

愚痴100%の記事を書くと我ながらしつこいとか未だに囚われていてうんざりですが、世間の認識や綺麗事のようにすっぱりと切り替えられたらこの世に悩みなんて存在しません。記憶力低いのに悪い記憶だけはずっと覚えてしまえる理不尽さ…。

 

毒親記事をあまりに書いているので親そのものに関して理想が高すぎてしまっているかもしれませんが、親だろうが人である以上完璧な聖人君子のような人がいる訳ないことくらいは分かります。だからこそ見下さず否定しないでちゃんと聞いてくれる、権力を誇示しないような父親の元に生まれたかったです。

 

毒親うんざり
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