地震自体より地震後の毒父との生活の方が怖い 

日常
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今日も地震がありました。こちらでは震度は低めでしたが震源地では震度5とかなり大きかったので、最近結構大きな地震が多いですね。当然地震は怖いですが、個人的に以前より恐怖感がなんだか薄れてきてしまった気がします。

 

結構揺れた時には驚きはするし、「あ~地震だ」と思いはするけど、避難しようとかどうしようとかあまり慌てなくなったし。勿論冷静な意味ではなく諦めの意味ですが。

普段が陰鬱生活だからでしょうね。地震以上に毒父との生活ストレスが半端なくどう考えても絶望的日常なので、大慌てする気力もこれからを不安に思う余力さえもないと言うか…。

 

今回は地震より恐ろしい地震後の生活(想像)について書いていきます。※被災者や家族が居ない方にとっては不快の発言かもしれないのでご注意ください。

引用元:David MarkによるPixabayからの画像

 

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普段の生活が地震にあっているようなもの

前日にイライラオーラを振りまいた為か、今日は毒父が半日ほど不在でした。にも関わらず今日の地震も毒父がよりによって居る時ばかりなので、天災の地震すらメンタル追いつめてくる感が半端なし。

 

夕飯の支度で立っていたので震度の割には気づきにくかったのですが案の定大騒ぎの毒父。おおっ結構でかいな!!と大声の上、即テレビを確認。地震で驚くのも地震情報を見ること自体も当然だと分かってはいても、仁王立ちで偉そうにテレビを見ている毒父の姿を台所から見えるだけでイライラ。

 

隣室に戻ってテレビを見るとほぼ全て地震のニュースになったようですが、いちいちうるさい。と言うか以前「自分が生きている内には大地震は来ない」とか言っていたのにこの騒ぎぶり。まぁ本人は面白いと思って言ったのだろうし言った直後に忘れているだろうから、私にとっては不快を振りまいただけ発言だけど。

 

何をするにも言うにも本人だけスッキリで、周囲にストレスを振りまく毒父。

毒父の周囲お構いなし気質についての記事はこちらです。

【毒親あるある】ありえない言動の数々
記憶力が悪いなら悪い記憶だけはさっさと忘れられたらどんなにか楽なのに、悪い記憶はしっかり残り必要な記憶は忘れやすい面倒な性質の私です。あ、悪い記憶をさっさと忘れるのは毒親ですね。言った直後に忘れる、自分では良いことを言っていると勘違いしてい...

 

毒親の話はまともに聞いたら身がもたないのでスルーとNOを駆使する
毒親と同居し続けてもう40年…よく自分我慢し続けているなぁ…ともうあきらめの境地ですが同じくうんざりしながらも諦めで同居している方々本当にお疲れ様です。 母亡き後は2人だけという更に恐ろしい同居から3年経ち、真っ向から対決した最初よりは疲労...

 

はっきり言って地震そのものより、地震の時の毒父の態度と地震後の毒父との避難生活の方が遥かに恐ろしいです。

 

地震だ!と騒いで、いつか大地震来るぞと恐怖を煽るだけだからマスゴミが身近に常にいるようなものですからね。毒父に関しての警戒レベルがMAXの年中無休の私にとっては、天災による地震より毒父による人災の方が余程たちが悪いです。本人に言っても無意味だから言わないですが。

 

当然地震は怖いです、天災の中でも予知不可能だし最近は特に頻繁に起るし。だけど地震はまだ天災の分諦めがつく点もあります。だけど毒父によるストレスの人災は報われない部分が多すぎる分更に辛いです。

 

 

只でさえ大変な避難生活を毒父となんて恐ろしすぎる

今まで避難所生活を送ったことはありませんが、東日本大震災を始めとする被災者や避難所や被災生活を見るととても生き残る自信はありません。避難所の一か所の大人数で制限つきの生活なんて絶対に無理…。

 

おまけに毒父と一緒と言うことが想像しただけで恐ろしい。毒父は騒音が歩いているようなものだから、避難所生活なんてしたら周りから即非難されるのではと。避難所ならず非難所か(苦笑)。毒父だけが非難されるなら構わないけど連帯責任だろうしなぁ…。他人から非難されなかったとしても、傍若無人の毒父と今より更に密接制限生活なんて数分で発狂してしまいそうです。

 

だから避難勧告出ても拒否して最期を迎えようかなと割と本気で思います。天災死できるならある意味本望だし。でも無責任の癖に世間体は何倍も気にする毒父だから避難勧告時に一緒に居る限りは逃げざるを得ないんでしょうね…はぁ…面倒くさい。

 

正直言うとひとりきりの方が余程気が楽です。一人で生きていかれる!とサバイバル精神が満載なわけでも緊急事態こそ助け合っていけると思っているのでは勿論なく、うんざりの相手と協力する位なら一人で行動した方が余程ましと言うだけの話で。

 

個人の性格や考え方、相手との相性が大きいし、1人きりは耐えられない、誰でもいいから居てほしい考え自体は分かるし私も持っていた時もあるけど、本当に相手によりけりかなと。少なくとも相手が毒父では疲労とストレスが溜まる負の要素しか想像できません。

 

それに避難所生活後のことや毒父以外のことを考えても、家の補償とか片づけとかその後の問題山積みを想像しただけで憂鬱だから、やはりとても生きたいとは思えないなぁ…。

生物中で一番大変で凶悪な種の人間に産まれてしまった時点でやっぱり終わっていたんでしょうね。

二度と人間になんて生まれてきたくない
人間が1番大変で面倒臭い生き物だと思います。そんな人間に生まれてきてしまったのは、余程前世で自分は悪いことでもしたのかなとわりと本気で思っています。 以前から人間でいることが苦痛でしたが、最近は特にそればかり思ってしまう毎日です。 人間が面...

 

 

日常でも災害でも備える段階までいけない人は範囲外

また全く参考にならない地震予測と地震への備えとかの何十年経っても変わらない不快ニュースが満載なんでしょうね。テレビや新聞を見なくても、地震予測ならぬマスゴミ予測なら結構的中しているかもしれない。

 

色々地震への備えとか防災グッズや食料とか情報入るけど、結局地震に限らず予防とか備えなどの情報の大半はどれも出来る人前提の情報なんですよね。だから備えた方がいいのは分かっていても、実際は備えるまでいけないし疎外感半端なくて情報見ても虚しいだけ。私自身一応以前に揃えたきりのペットボトルの水や防災バッグはあるけど、今では動く気もやる気もおきません。

 

2年前の防災記事から全く同じ状態です。

防災に備えての入替用10ℓタンクは重いのでペットボトルに変更
震災のあった3月を過ぎると防災意識は減りますがふと思い出すんですよね、あ、防災用グッズって備えてないなぁと。

 

震災の為の防災が大切な事は承知だけど家の中での防災で手一杯
3月11日は東日本大震災の日。あれから8年経ち、被災者の方は勿論被災地以外の人達も自然の恐ろしさを痛感した日ですね。

 

水の半分は期限切れですし。飲み水以外に使えるけど、飲み水以外に回した分を本当は買っておいた方がいいと分かっていても、揃える余力まるでなしの上考えただけで面倒くさい。おまけに簡易トイレグッズはあるけど缶詰や携帯食とかは買っていないと言うアンバランスさ。賞味期限確認で入れ替えとかも面倒だからそのまま放置したきり。防災品を置くスペースもないし、選んで備える気力が本当潰えてしまったからなぁ…。

 

でも懐中電灯は電池を含めてやはり準備しておいた方がいいかと思います。以前の停電の時夜自室が真っ暗、トイレの電気が使えなかったので、懐中電灯があって助かりましたから。ところで備える系の情報が流れる時にいつも思うのですが、情報通りきっちり揃えている人はどの位居るんでしょうね。

 

 

まとめ

不謹慎承知ですが地震にしろ毒親生活にしろ日本の崩壊にしろ、長期的にじわじわ追い詰められる生き地獄感が余計にしんどい。いっそ一気に巨大地震が起きて壊滅位になってほしいです。これだけ好き勝手やってきた人類を一気に楽には終わらせてはくれないってことでしょうか。

 

今回の記事で書いたとおり、地震による直接の恐怖や被害より地震による毒父との更なる制限生活の方が遥かに怖いです。いつどう被害がくるか分からない点は地震も毒父も一緒ですし。避難勧告来たら混乱に交じって逃亡しようかなぁ。

 

被災経験者や一人きりの人には実際にあったことがないから言えるんだ等不快に思われたかもしれませんが、地震がおきる度に普段とはまた違う絶望感を常に抱えてしまうので吐きだしの意味でも書きました。

 

大体地震国と言うほどの日本で、大震災も何度も起きているのに関わらず、未だに地震への対策すら個人にまかせきりの日本が終わりすぎる…。どう見ても個人では限界ありすぎるだろう課題が他にも山積みなのに。

 

普段がメンタル被災の自分には、もしもの時の備えとか考える余裕なんてとっくに失せてしまいましたよ。

下の者には問答無用で押し付ける癖に、特にお偉いさんや隷属、言いやすい人にしか糾弾しかしない人たちは、自分が被災や同じ目にあわない限り、大変さが分かることやもしもの想像すらしないんでしょうね。

 

日常
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