毒母の死後自分が思ったこと

毒親
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毒母が亡くなって今年で4年目になります。6月が命日なのであと2か月…。あれからもう4年かまだ4年かとどちらとも思えるし、当時は一杯一杯だったので記憶が曖昧なところもありますが、毒母がすい臓がんと分かってから亡くなるまでとてもしんどかったこと、亡くなった時呆然と共にようやく解放されるとほっとしたことは今でも覚えています。今回は毒母の死後に思ったことを書いていきたいと思います。

 

引用元:DevanathによるPixabayからの画像

 

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人はいつ死ぬかなんて分からない

毒母がまさか最初に亡くなるなんて誰も思いませんでした。毒母は病気もあったけど大病は無くお人よしで楽観的ですから長生きすると普通に思っていましたから。逆に毒父は毒母より年上、薬をあれだけ飲み好きな物を制限なく摂取する不摂生ぶりなので毒父の方が早く逝くとばかり皆思っていましたが、実際には毒母は68歳に、平均よりかなり若い年齢で毒父より先に亡くなりました。

 

毒母のすい臓がん発見から亡くなった時その後までを書いた記事はこちらです。

毒母が亡くなる前の様子や葬式や葬式後の大変だったこと
今年で毒母が亡くなって今年で4年経ちますが、もっと年数が経った気がします。毒母の亡くなる前の半年間は本当に大変だった…自分でなけなしのやる気を使い果たした最期の年だったと思います。当時はブラック企業で人間関係ずたぼろの時期に毒母の余命宣告で...

 

しかも血液検査を2か月に1回の割合でしていたにもかかわらず、結局は最終ステージになるまで分かりませんでした。沈黙の病気のすい臓がんには医療も役に立たなかったわけです。人はいつどこでどうやって死ぬかなんか分からないと思い知り、病院も結局は絶対じゃないんだなと検診そのものに意欲が無くなってしまいました。

 

だから市の定期検診案内にも参加したことはありません。それで手遅れになってもそれでいいやと言う感じです。

 

 

病死も想像を絶する苦痛があり安らかな死に方は殆どない

病死は自然死とされるので多くの人が望む最期と思います。私もそう思っていましたが、亡くなる前の数か月間苦しんでいる毒母の姿を身近で見て、どれだけ苦しく痛いのかと思いきり怖くなるほどでした。

 

毒母は基本的に体が丈夫で苦しい姿は生理痛の時くらいにしか見なかったのですが、その毒母がベッドの柱を掴む程です。痛みは本人や経験者しか分かりませんから想像するしかないので余計に怖くなってしまいました。

 

後半になるにつれ痛み止め薬を貰いますが効きにくくなるので結局かなりの苦痛が本当に最期の直前まで続き、自宅から病院へ運ばれる夜には叫び声をあげるほどで、今でも思い出すと恐ろしくて仕方がありません。治療に入った時点で不機嫌やイライラ、落ち込みも大きくなりますし、余命1か月位の短期ならまだしも長期間の場合は病死も辛いなと痛感しました。

 

あと療養中はあれだけ毒母も嫌っていた毒父の手を借りないといけない姿を見て、絶対に病気になっても毒父の手は借りたくないと痛感しました。それなら何も治療も通院もせずさっさと死にたいです。流石の毒父も疲れていただろうけど痛がる毒母に怒鳴る姿を見て更に思いました。

 

 

伝わらない人には全く伝わらない

毒母はいくら相手を嫌っていても一人で生きていけないタイプなので毒父に料理や外出準備、仕事を手伝うなど家事嫌いながらもまるで付き人のように尽くしまくっていました。

 

少ないながらも毒父と真っ向から喧嘩をした時もありますが、葬儀の後も今も毒父の中ではすっかり毒母は自分と結婚していて幸せだったと自己完結しています。支配タイプの毒親は自分の都合のいいように色々記憶を改善できるんですよね。

 

それに毒母は結局毒父に対して怖すぎて諦めもあり殆どのことは本人に言わなかったから、自分に対しての不満と本音を知らないことも理由かなと。日記とかあればまた違ったかもですが、毒母は全く書くことが好きではなかったのでありません。そういえば読むことも嫌いで本なんて何も読まなかったなぁ…。だから視覚的に分かる書面などにない限り毒父には伝わらないんだなと思いました。まぁ書面があったとしても認めないだろうけど。

 

 

身辺整理は少しずつしておきお金は少し残しておく

毒母は片づけが全く出来なくて物が溢れるばかりなので死後の整理整頓は本当に大変でした。更に書類とかきちんとまとめておかないのでどこに何があるのか手探り状態。日頃からある程度の片づけとまとめは大切だなと思いました。

 

あとお金ですね。正直片づけ代金位は欲しい位と思うほどでした。それどころか身内内の借金ありと言う…。遺産と言うほどのお金は無くてもいいにしても、死後の手続きや整理分の気持ちとしてのお金位は残しておくべきだなと思いました。

 

あとはお金の管理をどのようにしていたか、色々支払日も方法も毒母の中にしかありませんからね。色々通帳の履歴などで確認してと本当に大変だったので、自分だけが知っている事や方法はメモにでもしておく方がいいなと思いました。

 

 

まとめ

毒母が亡くなるまでは人が亡くなることはニュースとかで見ても他人事でした。ですが身近で、しかも長生きすると思っていた人の死は考え方を一変させてくれますね。人はいつどこで亡くなるかなんか分からないと言う当たり前なのに素通りしていたことを痛感しました。

 

あといつ死んでもいいように終活は考えておくべきかと。最近はコロナばかりですが他の病気や事故、事件あらゆる死にまみれている訳だし、全く迷惑をかけない死に方なんてことは不可能ですから。だからできるだけ不要な物を少しずつ処分してスッキリしておき、伝えたいことは書面にしておくなどはどの年齢でもやっておいた方がいいと思いました。

 

むしろ縁起が悪いと言って何も手を付けない人や後の人に全てお任せの人ほど楽観すぎの無責任すぎではないかと。確かに話題にはしにくいですが、日頃考えておけば今回のコロナ騒動ほど死へのパニックにならなくて済んだのではと思います。

 

毒親うんざり
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