訃報を受けて。お疲れ様でした、どうか安らかに。

うんざり
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お久しぶりの更新になります。月イチの生理痛と猛暑による夏バテと気持ちが全く浮上できず負の連鎖でブログを書く気力が出せず、前の記事から結構な期間が空いてしまいました。とりあえず生きています。へばっている間に安倍首相が辞任したり相変わらずの偏向報道が占めていたりと虚無感しかない風潮、書くのも馬鹿馬鹿しいけど政治関連について書こうと思ったのですが…。

 

私が日参していたブログ主さんが先日自殺されました(お母様がブログ主さんの最期のメッセージを受けてブログに載せた訃報記事を見て知りました)。ブログ主さんとはリアルで会ったことがないのは勿論、メールやコメントなどもしたことがなく本当に読ませていただくだけの縁でしたが、今回は訃報を受けてAさんのブログの感想を含めて思うことを書いていきます。重い内容ですので閲覧にご注意ください。

 

引用元:Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

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悩み苦しみを吐きだしていたブログだけど優しい人柄を感じました

※ブログ主さんのA(仮名)さんのブログの内容と印象を大まかに書きますが、リンクは貼りません。Aさんの遺物のブログは静かにそのままで残していただきたいし、ご遺族が削除されるかもしれませんのでご了承ください。

 

Aさんは今年の8月に18歳になられたばかりの少年でした。私が偶然訪れたのは今年春からですが、その頃から生きることに疲れ果て日々の苦痛を吐きだしているブログでした。Aさんは学校関係で上手くいかず不登校気味に、家は自営業で親子関係は休みの時にたまに自営業の仕事を手伝うなどと良好まではいかずとも険悪でもなかったようです。

 

私とAさんとは歳が凄く離れていますし性別も違いますが、高校生の時に既に生きることが嫌になっていた私。特に学校と家が主な世界になってしまう10代だからこその悩み、(Aさんの家はどんな仕事かは分かりませんが)小さな工場経営育ちの私には自営業の点も共感しました。

 

菓子パンが大好きで食べたパンの写真をUPと簡単な感想、たまに簡単な料理をしたり、妖怪ウォッチなどの携帯ゲームが好きでイラストも描いたりなど余暇の過ごし方でも共通点が多かったです。

 

苦痛を吐きだしつつも殺伐や過激な表現は殆どなく、とにかくどうしよう、どうしたらいいと言う悩みに溢れていました。けれど優しく分かりやすい文章で、時々挙がるコメントに対しての内容記事を見て、コメントにも丁寧な返信をするような、その他の日常記事からも優しい人柄と感じました。多分私と同じようにAさんのブログに魅かれた人も多かったと思います。

 

 

学校や家族関係、生きることに疲れ果てていたことが伝わりました

今年はコロナ禍の影響で学校も分散登校や休校状態。Aさんにとっては学校に行かなくてもいい、行く回数が減ったことで、私の勝手な主観ですが自粛期間中は比較的安定されていたと思います。行きたくない所へ国や学校から行かなくていいと指示が出されたのだからとても気持ちが楽になりますよね。よく分かります。

 

ですがコロナ禍の影響で自営業の売り上げに大きく響きご両親の関係が悪化、特にお母様と口を聞かなくなってしまう時期が増えてしまったようです。4か月位でしょうか。私も工場が閉鎖前そして閉鎖後は家族仲が今までかろうじて保たれていたのが一気に崩壊しましたからね。経済力の低下や生活不安から来る険悪さは仮に親が隠しても子供には伝わりますから、ご両親も辛いでしょうが子供にとって相当に辛かったと思います。

 

そして自粛が解けて学校へ通わなければいけない悩みが加わります。今ではスクールカウンセラー?相談窓口?がスマホかパソコンなどのオンラインで出来るのでしょうか?ただ以前相談しても結局何も解決しない、相談しても仕方ない感じになっていたようで担任から言われても積極的に利用する気にはなれなかったようです。

 

 

本人が決めたらどんな言葉も手段も届かない

8月の下旬位からブログから分かる位に不安定になり大丈夫かなと思っていたのですが、先日酷いコメントがあったようです(記事は自動削除済みでした)。それを読んだAさんはもう生きていたくないと結論になり、学校へ登校した先でこの世を去られたそうです。

 

酷いコメントと言うのは自分の想像ですが、おそらく一目で分かるような酷い言葉以外にも、見当違いの上から目線の説教があったと思います。どちらにせよギリギリの境界に居たAさんには割り切ることもスルーする事も出来ず耐えられなかったのでしょう。

 

荒れる確率や不愉快な思いをすることが多いので他の方のブログでもコメント欄は一切見ませんが、訃報の記事のコメントは読みました。そこにはAさんの最期を悼み優しいコメントで溢れていました。

 

今までも殆どがきっと優しいコメントだったんでしょうけど、きっともうAさんには届かなかったんでしょうね。優しいコメントでも立ち直れない自分を責めていた記事もありましたから…。

 

 

まとめ

死生観については今までの記事にも書いていますが人そのものに嫌気がさしているので、命自体に尊いとか大切にとかとても思えなくなってしまいました。善人も悪人も行きつく先は逃れられない死と思ってからはますますで、正直有名人や芸能人の訃報を聞いても亡くなったんだなと言う印象しかなくなってしまったし、おそらく近しい人の訃報でも同じと思うんですが、それでもAさんの訃報を見た途端なんというか…やり切れないんですよね…。

 

多分コメントがなくてもいずれは命を絶った可能性が大きいとは思います。それでもなんでこんなに優しい人が他人の心無い一言で命を絶たなければいけないのか。他人を蹴落としたり傷つけたりしても平気な人たちが生涯のうのうとしている理不尽さへの無力さ、人が誕生してからずっと弱肉強食の世界なのは痛感していますが…ただただ悲しく虚しいです。

 

不死の人が誕生しない限り、どんな人でも生まれた瞬間に至る所で死に囲まれているんです。だから死にたいと言う人は死なないとか、死にたいなんて簡単に言うなとか平気で決めつける人達がとても残酷で粗暴で嫌になります。本人にしか本人の気持ちなんか分からないのに、なんでそんなことを平気で言えるのかと。

 

今年の春にある芸能人がSNSで誹謗中傷を受けて命を絶ちましたが、加担していた人たちは自分が加害者になるかもしれないと知った途端、アカウントを削除するお粗末さと本人が自殺して初めて分かると言う情けなさ。もし自殺されなかったら今でもずっと誹謗中傷を続けていたんでしょうね。

 

そして加害者たちは罪の意識などすぐに忘れて日常を送るんでしょう。加害者たちは同じ目に合えばいいと心から思っています。だって自分が同じ目にあわないと絶対に分かりませんからね。さぞや楽しかったでしょう、無抵抗の人物を匿名で痛めつけられるんですから。

 

Aさんもギリギリで保っていた糸を酷いコメントがぷっつりと切ってしまったことは事実でしょうが、今までももう既に限界だったのでしょう。どんな気持ちで最期を迎えたのかは分かるはずもないけれど、せめて最期の瞬間はもう現世で苦しまなくていいと少しでも安らいで逝ったと思いたいです。

 

こんな酷い世の中でよく今まで耐えてきました、お疲れ様でした。辛い状況でもブログを書き続け最期にお母様にブログのことを伝えブログを読んでいる人達への配慮など最期まで気遣ってくれたAさん。今までありがとうございました。今は大好きな菓子パンを思う存分食べて、優しい人たちに囲まれた優しい世界で穏やかに過ごしていることを願います。

 

いつものことですが思いつくままに書いたので今回もまとまりのない記事です。繊細な話題ですし書こうかどうか凄く迷いましたが、リアルで話せる話題では勿論ないし(それ以前に実際に話す相手もいませんが)、訃報を見た後に残念で悲しくぽっかりと心が空いてしまったので、気持ちを一旦まとめる為にも書かせていただきました。

 

うんざりその他
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