台風が去った後は再び蒸し暑さと酷暑が繰り返す日々ですね。ストレス日々なので極力余分にストレスをためたくないので、特に時事関係は極力YouTubeでもあまり見ないようにはしているんですが、それでもうっすらと入ってくるわけでして。
今は某教会と与党との関係とか責任逃れの発言とかが挙がっているようですが、まぁここ20年で嫌というほど繰り返される同じ展開の認識しかありません。
宗教と言えば私自身は特に信仰している宗教がないし、宗教に関して特に詳しくないです。なので、今回は特定の宗教等に深堀ではなく、宗教に関して日頃思うことを書いていきます。
昔から宗教自体関心が薄い
日本には国教がありません。家も信仰宗教がないので、昔から宗教には馴染みは無く、たまに霊感商法とかのニュースを聞くぐらい。あとは訪問されたり道であなたの幸せを祈らせてくださいと言われたり、ポストに勧誘広告が入っていたりはあっても直接の被害はありませんでした。
毒親も悪徳宗教には関わらなかったところだけは数少ない良かったところかと(別宗教では無く毒親自身が教祖様のようなものだけど)。
それでもご都合信仰で困った時の神頼みとのように、何かの時には普段は信仰しない神社とかで祈ったりお守り買ったり、初詣などはしましたが。
近所のインドカレー屋さんもヒンドゥー教信仰の為に牛肉を使用しないのかぁと結構最近知ったくらいです。

宗教に関しての小さな疑問
殆どの宗教は特定の日にお祈り、断食、日々の食事等の制限等、基本小さい事から大きい事まで細かく戒律に沿っているので、怠け者の私にとってはあまりの細かさと厳しさに戸惑う内容も結構あります。
だから中には染まれない信者も居るのではないかなぁと思うんですよ。敵対まではいかなくても、主の考えに納得できないとか、行事になじめないとか、戒律を守れないとか。馴染めない、染まれない人はどう生活しているのかが地味にいつも気になります。我慢して従うのか、反抗するのか。
イメージが多少柔らかいだけで立派に宗教国家
日本は無宗教国家と言われ、確かに国教はありません。だけど立派に宗教国家と思います。親絶対教、年配者絶対教、権力者絶対教、家族教、医療教、労働教等、認知されている○○教という名前の宗教がないだけで、別名の宗教が蔓延している状態。教を狂か凶に変換可能のくらい歪んだ風潮。
家、学校、会社など全日時間毎のスケジュールが事細やかに決められ、従うのは基本絶対。反対や違反は問答無用の制裁。主に精神を痛めつけて証拠があげにくい拷問、都合の悪い事は巧妙な圧力をかけて人生から引きずり下ろす社会制裁などは、完全に悪徳宗教です。


洗脳が解けるのも脱出するのも難しいところも同じ。個人的には悪徳宗教にはまっても、周囲に押しつけたり巻き込んだりしないで、本人の中で消化し、最期まで疑問を持たず洗脳されていたならそれはそれで幸せなのかもしれないと思っています。
むしろ一番きついのがもう回復不可にまで来たところで洗脳が解けることかと。その時点で人生が安らかに終了ならまだしも、これからも続く場合は更に残酷。

まとめ
寛容なまともな宗教もあるだろうから宗教全部が悪いわけではないです。宗教が本人の心の拠り所になる場合もあるだろうし。
でも私にとっては殆どの宗教が戒律を一見するだけでげんなり。何時にこれをやれ、これは禁止、これをしたら罰則とか多過ぎ。国教で生まれた時からの習慣に入っているのならまた違うかもしれないけど、中にはついて行かれない人も居るだろうと思うので、そういう人たちはどうするんでしょうね、本当。私など起床から怒られそう。
他国の行きすぎた宗教観が批判されたり、無宗教な日本で良かった意見もあるけど、日本はとっくに宗教国家。家、学校、会社とどこも規則と罰則だらけ。更にここ数年は感染症対策や環境、命を守るとかのお綺麗な言葉を盾に、個人の生活に事細やかに命令しているし。
しかも一応強制や命令では無く、お願いや協力という体裁だから余計にたちが悪い。おまけに厳しいのは庶民ばかりで、指示している側は痛みも罰則も何もなしでやりたい放題ですからね。
外見だけ見栄え良く取り繕って、内面は腐敗と陰湿な、いかにも閉塞感漂う日本らしいやり方です。