母の命日から3年経って想うこと

日常
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6月24日は母の命日です。あれから3年経ったんだなぁ…去年の3回忌からもう1年たったんだなぁと時の速さを年々痛感します。今年も6月が終わりでもう折り返しですからね。

 

3年経って想うことを書いてみました。といっても感謝などの綺麗な記事では全くないのでご注意下さい。

 

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3年前が自分が頑張った最後の年でもあるかな

当時は母のすい臓がん発覚で余命1年と言われてからもう必死でした色々。

 

宣告を受けてからどんどん元気も食欲もなくなってしまい、やせ細る母親を間近で見るのはとにかく辛かったです。

 

母親に対する気遣いも捻くれた自分には相当神経使いましたし、嫌いで仕方ない父親と連携汲まざるを得ないストレスも半端なかったですね。

 

また最期のときを迎える為に葬式や会いたくもない親族との付き合い、それに現実的にお金がないですからね。それらを考えたりと正直一杯一杯でした。

 

また仕事の方もパワハラ上司や腹が立つ周りの職場の人たちとの人間関係にうんざりしながらも、さすがに辞められない状況だったし、それも続けるのもきつかったのでダブルパンチでした。

 

それでも自分なりには頑張ったしもうこれ以上頑張れと言われても私には無理でしたね。

 

もっとああすればよかったと言う思いはないかな…。

直後は後悔が沢山あったけど、今思い出してももうあれ以上は頑張れませんでした。

 

というか逆にあれだけメンタルやられてよく頑張ったと自分で自分を褒めています。本当無理です。もう1回やれと言われても絶対無理だなぁ…。

 

 

 

なんで産んだんだと思ってしまうような娘になってしまった

余命宣告を受けて愕然とした母親。病院通いはあるものの持病もなく元気でしたからね。

 

まさか私もこんなに早く亡くなるとは思っていなかったので、本人はもっとショックだったでしょう。

 

それに毒旦那だからあれよりは意地でも長生きする!と思ってただろうから、まさか毒父親より速くなくなるのは余程悔しかったでしょうね。悔しさで泣いてましたしそれを見るのも辛かったです。

 

でもある意味羨ましくもありました。

 

だって使えるだけお金を使い切って逝けたんですからね。家族にも看取られたし。

 

しかし亡くなる数日前に実は姉に170万円借金したことと、それを代わりに少しずつ返していってと頼まれた娘の気持ちは半端なくショックでした…。これがトドメかな。

 

私には何が何でも生きたいと言う欲望がありません。むしろ余命宣告言われたら万歳してしまうでしょう。だって生きたいと言う世の中ではないんですよね…。

 

どうしたってみじめで辛い絶望的な行末しか思えないし。むしろ逝きたい。

 

正直産んだことを恨んでる位になってしまいました。

 

人間と言うか生まれてきた事自体間違えました。自分にはハードルが高すぎるよこの世の中…と毎日思います。

 

だから産んでくれてありがとう、生まれてきて良かったと思えるような娘に憧れてたけど、全く逆になってしまいましたね…まぁ仕方ないです。そうとしかもう思えないから。

 

理解されないだろうし逆にマウントされるだろうから口には決して言えませんが。

 

 

 

 

 

まとめ

母親自体は好きではあったんですよね。基本お人よしでおもてなしも半端ない人で。

 

ただ致命的に浪費家でした。お金を残さなくてもいいから、せめてもう一人の大嫌いであろうけど旦那の生活費くらいは使い込まないでほしかったです。

 

あとはあんな暴君な旦那になったのも何でもういうことを聞いていた母親の従順すぎる態度にもあったから、今辛い目に合っている私にはどうしても許すことが出来ないです。

 

娘の責任でもあると言われるだろうし、後悔しても仕方のないことだけど考えられずにはいられない。

 

正直産んでほしくなかったし生まれてきたくなかった想いで一杯なので、母親に感謝することはないだろうけどそれでも好きな所はあったので仏壇の花と線香は欠かさないようにしていますよ。

 

全てを許すなんて菩薩のようになれないのでそれでいいかなと思います。

 

 

 

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