誕生日だけど別に嬉しくないし興味がない

日常
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どうでもいい情報ですが12月26日は私の誕生日でした。年末近くになり慌ただしい中で生まれた上にクリスマスの翌日なので幼年の頃からクリスマスと誕生日一緒扱い。まだ普通の感覚を持っていた私はお祝いが1つ減ったと損した気分でしたね~。誕生日は細々と今迄自分なりに祝っていたのですが、今年は生きることへの興味が全くなくなり、去年までは誕生日近くになると外出もしていたのに今年はどっぷりとインドアで過ごし、当日も特に何もない日常でした。

 

ただでさえお祝いの日が少ない中高年なのに誕生日まで祝い気分が無くなり、いよいよ何も祝いの日はないな~な孤独感満載の日々ですが、ネットで見ると誕生日を祝われたくない人が若い年代にも結構いることが意外…皆がウェ~いじゃないのか(笑)

 

誕生日嬉しくないと言いつつ年に1回折角なので、誕生日が嬉しくない理由と誕生日の考え方について書きたいと思います。

 

引用元:Michael SchwarzenbergerによるPixabayからの画像

 

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誕生日が嬉しくない理由

大人になるとお祝い事はめっきり少なくなります。既婚者は家族のお祝いとか色々ありますが特に独身者にとっては新年と誕生日くらいしかなくなる上に祝う側の出費は色々と散々気味に…。辛いことばかりの人生だけど誕生日くらいは祝いたいなと自分で無理やり誕生日当日はケーキを買ったりしていましたが、今年は本気で誕生日どうでもよくなりました

 

生まれてきたくなかったのにこの時から地獄が始まったから

日に日に死にたい観念が強くなる今では本当産んだ親に恨み言しかないんです。よくもこんな時代に快楽で毒親気質の身で産んだな!という。さすがに毒父でも本人には言ったことはないですが心境は言ってやりたいくらいです。

 

だから誕生日はその日から地獄が始まった日として思い返し、改めると全然お祝いじゃないな…むしろ地獄日じゃないかと思い、今年は誕生日を自分だけでも祝おうと言う気持ちには全くならなかったですね。いつのまにか誕生日来たよ…位に。

 

それでも姉からは私の好きなお菓子を数日前にくれたのでありがたく貰いましたが…。(貰えるものはやっぱり嬉しいですし)。毒父は今日ケーキを買ってきましたが、12月26日はクリスマス商戦直後でケーキ屋さんの多くはケーキ売っていないし休業が多いんですよね。12月26日と言う誕生日から影が薄い自分に泣ける…。

 

毒父はカットケーキを何個か買ってきましたが(明日姉家族がくるからその分もだけど)ケーキは冷蔵保存必須で持たないから、他のお菓子が助かるんだけど…とはとても言えない。

 

なにせお祝い=ケーキ=皆が喜ぶと言う刷り込まれていますからね。忌引き明けに職場へケーキを持っていく人ですし、色々準備が必要なお菓子は職場へ持ち込むのって敬遠されやすいけど、準備とかしない毒父はそんな配慮があるわけがなし。職場も困っただろうなぁ…。食べきれないしカットが大変なホールケーキではないだけましかな。

 

子どもの頃は全く誕生日祝いなんかしなかったのに母亡き後にいきなり誕生日祝いだ!ケーキをやるぞ!と言われてもね…。もう素直にやった~ありがとうとか思えない段階ですし。でも食べ物を粗末にしたくないし、食べ物に罪はないのでしっかり頂きます(笑)余程嫌いなものではない限り食べるタイプです。

 

 

歳をとることを認識するから

29歳から30歳になった時が1番歳をとったなぁとショックでしたね。今から考えると全然若いんですけどね、30歳。今は41歳か…まぁ歳は誰でもとるのでいいのですが、若い人無条件にちやほやな日本では、1年が10年位の感覚なんですよ。

 

だから滅多に書かないけど書類などの年齢記入時などにはかなりダメージを受けます。そして毎年ああ…この年まで生きてしまった…いつこの地獄が終わるんだろう…と絶望感に浸ります。人生100年とゴールが無駄に延びたのに、ちやほや時期は20代までと言う地獄。

 

 

誕生日はお祝いと言うより労いの意味でとらえる

何で誕生日を祝うのか色々ネットで見てみました。生まれてきてくれてありがとうと周りが感謝を込める日という解釈は、毒親育ちで友達も親しい人もいない私には空虚な言葉だなぁ…と(苦笑)。

 

それに1歳歳をとったということで1年無事に過ごせて生きていることを喜ぶと言う解釈もあるけど、早く人生終わらせたい自分には更に空虚。今よりまだ元気な時はそう思っていたんですけどね…今では誕生日がくるたびにああ…生き延びてしまった感しかないです。

 

だけど誕生日は嫌でも来るのでせめて自分を祝うのではなく労う日と決めてみました。祝いというと喜びだから自分には馴染まないけど、こんな世の中とこんな立場で1年生き延びてお疲れ様と言うのなら結構しっくりくるなぁと思いました。

 

なのでもし誕生日が祝いと思えない時は祝うではなく労う日なんだと思うと気持ちが少し楽になります。そして誕生日にはケーキに限らず自分の好物を食べたり、思いっきりだらだらしたり、好きな本や漫画を見たりと思いっきりだらけるといいと思います、労いの日ですから。私は毎日労いの日ですが(笑)じゃないとやってられません。

 

 

まとめ

誕生日は幼年の頃からホールケーキで誕生日会やプレゼント貰ったりなんかなかったなぁ…。既にコミュ症で学校も嫌いの対人恐怖症だったし。会社ではパリピな同僚にプレゼント貰ったりもしたけど却ってお返しが大変だったし、同僚自体別に好きでもなかったので正直面倒くさい思いが強かったです。

 

人生辛い私でも一応この世に生まれてきた日として無理やり記念日にしていたけど、歳を取ること以外にも別に嬉しくもなんともないんですよね。今年で遅まきながらようやく踏ん切りがつきました(笑)そう言えば赤ん坊が泣きながら生まれてくるのは母体の中にいたい、この世に出てきたくないからと全力で抗議するからという説があるのですがかなり納得します。

 

あ、誕生日の嬉しい理由が1個ありました。人生の終末まで1年近づくことです。人生エンジョイな人にはゴールが近づくのは怖いと思いますが。流石に寿命が毎年伸びることはないはずなので、あと何年でゴールできるかなとカウントダウンの日でもありますね。誕生日に誰かどこからか私に安らかな最期をプレゼントしてくれないかなぁ…。

 

しかしまさかこんなBADなことを考えているとは毒親は思ってもいないだろうなぁ…言ってみたいけど言った後が面倒だから、毒親か私が余命間近な時にしよう。いつゴールがくるのかなぁ…。

 

 

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