お金と生きる力が尽きた時が死に時と思う

うんざり
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現代は本当に生きづらいですよね。今までは能力が低かったりかなりの生活苦だったりと率直に言うとかなりの底辺の方が主だったのが、どんどん生きるだけでもハードルが挙がってしまい今迄普通レベルでなんとか暮らしていた方まで生きられるか分からない不安や絶望が蔓延しているからでしょう。

 

更に生きづらいと同時に死に辛いのも高い閉塞感の原因だと思います。少し前は生き辛くても死にやすい時代だったんですよね。医療も救済機関もそこまで発達していないのでお金がなければもうどうしようもなかった為ある意味諦めがとっととつきました。でも今は名ばかりの救済策や誘惑が蔓延しているし、自殺は悪いこと!という問答無用の強迫観念が渦巻いているので生き辛く死に辛いと言うどちらもしんどい世の中になってしまいました。

 

その中でも自殺が悪いと決めつける考えにどうしても納得がいかない理由を書いていきたいと思います。

 

引用元:howzitlondonによるPixabayからの画像

 

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自殺が1番迷惑となぜそこまで言われなくてはいけないのかが分からない

死よりの考え方に偏っているからもありますが、病死、事故死と沢山ある死因の中でも自殺が1番迷惑などと何故ここまで責められるかがさっぱり分かりません。死ぬことはいつでもできる、死んだら周りが悲しむとか死ぬ時の迷惑を考えろと言いますけど、病死でも事故死でも何も迷惑がかからない死に方なんてない訳ですよね。

 

母の病死の時にも自然死と言われ全うな最期で惜しまれる死に方の病死なので、死にたいと願う人にはかなり羨ましい死因なのですが、病死だって十分周りに迷惑がかかるし悲しまれる人は悲しまれるし、自分で最期を決めるかどうかの違いだけで自殺と何ら変わりがないですよね。

 

無関係や生きたかった人もいるだろうから巻き込み自殺とかは別ですが、どうにもできなくて最期はひっそりと自分で最期を選ぶ自殺の何が悪いのか…。

 

後の人の悲しみを考えろと言いますが、それこそ死を選ぶしかなかった当人の苦しみを考えてもらえないのか。悲しんでくれた人に相談したら何とかできたかと言われると、殆どの人がそれほどの余裕がないから結局はその時に思いとどまったとしても自己力で何とかするしかない。でも何とかできないから自殺を選んだのだから、推奨はしないけど別におかしくはないと思っています。むしろ洗脳のように生きろ!いいことが必ずある!と声高に叫ぶ人たちの方が余程おかしいのではと。

 

 

結局生きる為にはお金がまず必要

自殺の原因の一つがお金と思います。勿論金持ちでも自殺する人はいますけど圧倒的に生活苦や未来への展望がないから自殺を選んだと思いますし。正直この世はお金です。何をするにも相談をするのさえお金。極端な話人格的に最低な人でもお金持ちや年収が高い人はのうのうと生きている人が多いですから。

 

お金がなくて死を考えるくらいなら生活保護やキャッシング、周りに借りるとか自給自足の生活とか勧められますが正直そんなことは当人だって分かっているんですよ、それくらいの手段があることは。でもそれを頼らずに実行したと言うことはそういう手段を頼る気力がなかったと言うことだと思います。

 

手段や機関を調べるにも気力、相談していって色々聞かれて実際にお金が借りられるかどうかの不安、更には勿論返さなければいけないから返す為には働くか一攫千金でギャンブルしてしまうか…どのみち結局お金の悩みからは離れられません

 

多額の借金なら自己破産で生産もありますがまた0から出直すにはやはりもろもろのお金が必要…。だから所詮この世はお金で、お金がなくても生きられる!お金がないからって苦しむことはない!というのはどうにかなった人や元々タフな人のみが言えることだなと思っています。

 

それに昔から結局金が尽きた人たちから死んでいっていますしね…死ぬことは悪いと言う絶対的風潮の今が不自然なのではないかなと。それだけ言うなら100億円位くれよと言いたい(苦笑)自業自得や自己責任とか言うくらいなら最期位本人の希望通り静かに逝かせてほしいものです。

 

 

生きる気力が尽きたらもう何をする気力もないから死が唯一の救済となる

お金がなくても自殺を考えずに生きている方は生きる気力が大小少なからずあるからと思います。よく死ぬのが怖いから生きているだけと聞きますが、本気で本当に生きるのが絶望的になるとそんなことすっ飛ばしますからね。後や周りのことは勿論死ぬのが怖い?生きる方が怖い!ってなりますから。

 

あ、死ぬことが怖いことは当然です。死んだ後のことが誰にも分からないし、自殺は途中終了のようなものですから生まれた以上幸せになりたかった気持ちで一杯でしょうし。でも死ぬしか考えらえらないから死を選んだ。それはちっともおかしくないし、ましてや弱いことでも責められることでもなんでもないです。

 

ネットで見ても死にたい方のブログや情報、口コミが沢山あることを考えても生きづらい世の中であるのにもかかわらず、寿命だけが無駄に伸びて逆に生き地獄が延びているだけという個人的には現代が1番地獄の時代と思います。

 

だからもう自分でできることはない、この世から解放されたいと思って自殺した方を私はああ、やっと解放されたんだねと羨ましくもありあの世では幸せにと願うばかりです。本当にあの世があるのか何か分かりませんが、この世こそが地獄で十分苦しんだ方に自殺したら永遠に苦しむとか追い打ちをかける狂者の言い分は全てスルーします。

 

 

本当に無気力になる前にやりたい事とやるべきことを少しずつやっておく

自殺を考えている方のブログが軒並み更新停止なので実行したのかどうかがとても気になりますが、どうせ死ぬなら今までやりたかったことなどをしてからという考えがありますよね。私もその意見に賛成でした。今迄の苦労した分どうせ終わりなら使い切ろう!言ったことがない場所へ行ったり食べたことのない物を食べたり…。

 

でも思いました。いざ最期を迎える前にそんなにバイタリティがあることができるのかなと。むしろあまり移動せず特に目新しいことをせずに静かにこっそりと日常の延長の様に終わらせる方が自然かなと。

 

だから最後の晩餐が超豪華なディナーを選ぶかむしろ素朴な食事おにぎりやみそ汁などで人生を締めるかは当人しだいと思います。正直何をするにも気力や行動力体力が必要なのに死を決めたからって少年漫画のようにパワーがいきなり溢れる訳ではないですしね。

 

決めた途端元気が出てくる方もおられますが、本当に気力が無くなると何もできなくなってしまうので、まだとりあえず日常のことや何かしたいな~とかある場合には気力が少しでもある内に少しずつ経験をして未練を少しでも減らしておくのがいいかなと思っています。

 

因みに私は少々お高めのスイーツや料理を食べたり、気になっていたアニメをひたすら見続けて自堕落生活をしています。貯金が尽きるあと数か月まで周りから白い目で見られようが今まで自分なりに頑張ったんだー!!と思って一応罪悪感も劣等感は半端なくありますが基本好き放題の生活です。

 

 

まとめ

結局生きたくない生きられない方たちも問答無用で生きさせるから皆苦しいと思います。生きたくない生きられないならもう寿命で最期を迎えていいよ、その為の安らかな方法と最期の場所が提供されているような状態ならまた違うと思うんですよ。

 

それを何でも自己責任、死を選ぶことは何事だ、大抵の事は死ぬ気でやれば乗り越えられる、と生!生!生!と脅迫まがいな世の中だから迂闊に死にたいとも言えなくて結局心の内を抱えたまま最期を迎えざるを得ない。更に死後まで責められますからね、異常な世の中だと思います。生きたい人は生きる、死にたい人は死んでもいいそれくらいの寛容さがあればよかったのになぁ…。

 

 

うんざり世の中
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