年末年始の家族や親戚づきあいが苦痛

毒親
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今年も残りわずかですね。年が変わったからって何も変わらないしむしろ年々地獄度が増している訳ですが、毒親育ちには年末年始が苦痛の方が多いと思います。

 

家族で過ごしましょうの強い風潮、親も仕事休みになり家で接する時間が増えること、家族以外の親戚づきあい等。今年はコロナ禍で中止や小規模のところも多いかもしれませんが、引き換えに家族信仰がますます強くなってしまっている感じです。

 

去年の同時期にも書いていますが、今回は幼少時代の時も含めての年末年始の苦痛について書いていきます。

 

去年の年末年始の記事はこちらです。

毒親と同居は年末年始が地獄。できるだけ距離を置いて心の安定を
今年ももう少しで終わりですね。年々時の速さを痛感し、今年も何もなかった…悪いことばかりと絶望ですが最近はどうせ絶望ならとっとと過ぎ去ってほしいと思う日々です。 私と同じく毒親と同居している方は年末年始が特に地獄だと思います。年末年始の家族や...

 

引用元:satake5によるPixabayからの画像

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幼少時は親戚の集まりが嫌だった

物心ついた時から年始は毒父の実家へ挨拶に行っていました。毒父そっくりの顔と性格の兄弟と旦那に負けじと気が強い嫁さんが最揃いという恐ろしさ。

 

毒父の兄弟姉妹の記事はこちらです。

毒親の親や兄弟も毒持ちの可能性が高い
毒親育ちの方は毒親の家族と交流はありますか?私は毒親は家族も毒持ちの可能性が高いと思いました。子供は育った環境が大切だから、毒親と言うことは育った環境が毒の可能性が大きいと言うことですし。そして毒両親の家族や環境を実際に聞いたり想像したりし...

 

兄弟それぞれの子どもたちも一応年代は近くてもやんちゃな男の子が多く女子も気が強そうだしで、人見知りの自分にはどう遊んでいいか分かりません。

 

当時はスマホなどの携帯ゲームも無いから1人遊びも出来ないし、ぽつねんと居心地悪く座るだけだった気がします。親戚の集まりは親にとって子どものお披露目みたいなものですね。姉はどうしていたか忘れてしまったけど、年に1回だけだけど年初めの最初から毎年とにかく憂鬱でした。

 

大人たちは酔っ払いの宴会状態だし(当時は飲酒運転でも懲罰ではないので流石に泥酔ではないけど、確実に飲酒運転で帰ったのによく事故らずに済んだよ)。ご馳走はあるけど昭和ならではの嫁さん手作りなのでまずくはないけど、家でお餅をまったりと食べていた方が余程極楽です。

 

行かないと家族信仰が強い毒親や親戚から倍返しのお説教なので従うしかないですし、午前から夕方まで続くからとてつもなく長い1日でした。お年玉を貰えることだけが拠り所でしたね。

 

小学校中学年までの数年でしたがきつかったです。毒母も嫁さん同士の料理や会話がずっとしんどかったらしく、私が行きたくないみたいと理由に(本当だから良いですが)、毒父だけで行くようになりました。だから元日は毒父も居ないし、行かなくても済むようになったので心底ほっとしました。毒父はお酒が飲めるし当時はまだ兄弟間の仲が良かったのでご機嫌でしたしね。

 

 

20代から15年間続いた親戚の突然の年末訪問

私が18歳の時に今の家へ引っ越すまでは、駅近で便利でしたが築年数が長い古い賃貸の家で自室もないし不満でした。だからまだ築年数が短く綺麗なマンションへ住めてからは、引っ越しは大変でしたが自室も出来たしとても嬉しかったです。

 

ですが引っ越しした途端に年末に毒父の兄弟(次男と嫁)が突然訪問するようになりました。以前の家では来なかったのに…。しかも12月24日から27日までのいつ来るか分からない、当然事前の約束も無し。

 

玄関前でならまだしも家にずかずか上がってくるし、インターフォン鳴らしてすぐに出ないとドンドンドンと扉を思いっきり叩いて大声を上げる王様ぶりです。毒父に似たおっかない顔の次男と強い嫁さんなのでまるでなまはげのようでしたよ。

 

次男はお菓子が好きな分味にうるさくて出されたお菓子が気に入らないとケチをつけるし、嫁さんはおしゃべりで自慢話し放題。当時働いている時でさえ近況とか聞かれたくないし、大体1時間の滞在とはいえ毎年憂鬱でした。時間も夕食時なので来たら当然途中で夕飯中断なので、年末近くはおちおち夕飯も食べていられません。だから仕事帰りに駐車場に次男の車を見かけた時には、近くで時間つぶしてから残業のふりをして帰宅しました。

 

毎年12月になるとお茶やお菓子の準備とか、わざわざ特定のお店で購入して気を使わなければいけない毒母の嘆きを聞くのもきつかったですね…。私の誕生日付近が目安でもあるので、余計に誕生日が憂鬱の原因でした。

 

しかも次男が持ってくる蒲鉾より遥に良い贈り物を返さないといけないし。何度か毒母も(お返し面倒だし)持ってこなくていいよ(訪問自体止めてほしかったんだけど)とやんわりと言ったけど、無神経の毒父の親戚には通じる訳がなくずけずけと訪問し続け、結局毒母のすい臓がんが発覚した年(流石に毒父が連絡した)までの15年ほど続きました。

 

 

支配毒父と隷属毒母の形だけの正月

親戚関係抜きの家族での正月も勿論苦痛でした。1月1日の元旦に起きた途端に毒父が明けましておめでとうの晴れやかな挨拶が毒母と私にはイラッときました。普段沢山の暴言をしておいて新年になった途端、スッキリした表情の毒父にむかついたんでしょう。

 

ある時毒母が毒父に、普段日常の挨拶もしないのに新年だけ挨拶をするのはやめてと言ってからは言わなくなりましたが。仲良しこよしで挨拶をかわす幻想家族を疑わなかった毒父には内心ショックだっただろうけど、まぁ知ったこっちゃないですが。

 

正月料理もおせちにはこだわりがないので、手作りではなく店で買ってきたおせち料理でしたが結局あまり手を付けないんですよね。毒父はお餅と酒とつまみさえあれば良いし。となると残ったおかずを私が食べることになるので正直これも義務感で苦痛でした。

 

毒母はお餅と好きなおかずの伊達巻と錦卵があればいいし、私もおせちはいいよと断ってからは前述の二品だけとお雑煮になりました。おせちを食べたいなんて言った事ないし無理して準備しなくていいのに、世間でのこうあるべき家族のイメージが強かったんでしょうね。

 

だけどコタツに座ってゆっくり団らんなんて私には幻想でしかないです。テレビはもっぱら毒父専用で別に喋ることもないしなので何が新年でおめでたいんだかと。子の気持ちを推し量れないのに家族信仰が無駄に強い毒親なので、自室に引っ込んでいると余計にうるさいから嫌々ながらも居間に居なければいけませんでした。

 

毒母が生存していた頃の家での食事についての記事はこちらです。

家での食事も苦痛だった
毎日料理するのは本当面倒くさいですよね。手抜きが多いとかいちいち文句をつける人も居るらしいですが、じゃぁあんた買い物から後片付けまでやってみろよと言いたいです。やる側になってみないと絶対に面倒くささは分かりませんよ。

 

 

姉が結婚してからは年始からの毒父の演説

姉の仕事休みの日には姉家族が訪問します。昼と夜は外食で、昼はファミレスでランチなので喫茶店で食べたくなく駅伝を見ていたい毒父は不在で夜のみ。お構いなしにどっかりと座っている毒父にイラつきながらも、姉家族が家に来る前に軽く掃除をしなければいけないので結構大変です。

 

夕飯は徒歩圏内の和食屋さんで毒父劇場が始まります。それぞれが好きに料理を食べればいいのにいちいちもっと食え、高いのを食えとか余計なことばかりの口出しでイラつくし、お酒解禁なので(普段から飲んでいるけど)飲み放題でご機嫌。流石にお酌は所望しないけど酔うごとに無神経ぶりを発揮するので、毒父のどうでもいいし不快な演説が過熱します。

 

それでも黙って聞かないといけない、相槌を打たないといけない、本人が面白いと思うことを言った時には笑えと強要させる等…本人だけが幸せな接待ですよ。雰囲気を壊したくないから途中まではつき合いましたが、毒母亡き後はバカバカしいのでほぼ喋らないし、毒父の相手は姉の旦那さんにお任せしています。

 

去年の新年会(毒父の演説会)の記事はこちらです。

年に1回のささやかな新年会だけど毒親(父)の話に疲れたしうんざり
新年明けは姉家族と新年会をします。規模は1家族なのでささやかな会で、ランチと夕食を外食し午後は家でまったりと過ごします。総時間にすると6~7時間くらいでしょうか。義兄は淡泊なので気を使わないですが姪っ子は繊細なお年頃なので話題に地雷をうっか...

 

店の料理は美味しいし滅多に食べられないお刺身やお寿司などなので堪能したいけど毒父の演説付きではねぇ…。はぁ…。義兄も余計なことを言わない距離を測るタイプなので正直毒父だけが難点です。

 

 

まとめ

親戚づきあいも殆どは意味がないので、幼少や未成年だと特に断るのが難しいだろうけど、行くのが苦痛の場合は苦痛であることくらいは伝えていいし、欠席だって良いと思います。無理して素直に従っていると毒親は勘違いしてどんどんつけ上がりますし、素直に聞いたって良い事なしですから。

 

年末年始の一体どこがめでたいのかと思うのは、幼少からの付き合いの強制ぐあいにもよるんでしょう。本当に仲が良い家族ならいいけど毒親の場合は、一方的に我慢するしかない接待のようなものです。しかも大人になるとお年玉すらないから、せめて食事と言っても美味しさも半減なので料理が勿体ない。毒父と豪華料理を食べるより家でひとりカップラーメンの方が余程極楽です。

 

コロナ禍なので姉家族はもしかして来ないかもと思ったのですが、特に考えることなく例年通り来月の正月に来る予定です。ひとつ懸念があり生理にあたるかもなんですよね。今月ずっとお腹のじんわりした痛みが続いているけど未だに本格的に来ていないので、年始早々にぶつかったら私は無理と前もって断っています(以前は無理して出席していたのですが店内で具合悪くなったら嫌ですから)。もしあたったら夕飯だけにするみたいです。

 

その時は毒父に姉の家に行ってもらえばよくない?と一応言ってみたけど、うるさいから嫌だよと本気で断られました。…毒父寄りの元気属性の姉すら敬遠する毒父と同居している私はやはり忍耐強いよなと改めて思えました(苦笑)。でもきっと運が悪いからなんだかんだで年始にはあたらないだろうなぁと。

 

それにしても毒父も毒母も、子育ても付き合いも形だけで中身が備わっていないなぁと改めて思いました。一切何もしない方がましなんですよ。中途半端にやるから余計にみっともないです。張りぼての中身を必死で外観だけを綺麗に見せかけて満足している…政治家そのもの。顧みない、聞く耳持たない、自分は正しいと思い込んでいるからタチが悪いです。

毒親うんざり
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