京都アニメーション放火事件から1週間が経ちました。ニュースで取り上げられることは少なくなったものの、今でもそしてこれからも事件の傷跡は重くのしかかるでしょう…。
被害者の方のご冥福を心からお祈りいたします。
そしてこの事件で自分なりに思った事を書いていこうと思います。
何も悪いことをしていない人たちが突然命を奪われる理不尽さ
一瞬で火柱に巻き込まれ命を落とされた被害者の方たちの無念さや苦しさを思うとどうにもやるせません。
アニメーションと言う素晴らしい文化作品を作り出すことに全力をかけていた人たちに、一体何の落ち度があったというのでしょうか。
京都アニメーション制作の作品を見たことがありませんが、有名な作品ばかりで聞いたことがあるものばかりです。
アニメーションを始め二次元に心を救われたことが数知れずの自分には今回の事件が本当に悔しくてなりません。
生きていたくない、いつでもあの世へ逝きたいと思っている私ですら、この事件の残忍さには怒りをおぼえ、ニュースを聞くほどにこんな死に方は辛すぎると思えてなりません。
もしあの世へ逝けるけどこの死に方だよ?と言われたら、首を振ってしまうほどの酷い命の奪われ方ですから。
だから被害者の方たちは火災に巻き込まれた時には本当に辛くて苦しくて無念だったでしょう…。
近くに遺族の方がいても私なんかには何も声をかけることが出来ないでしょう。
だからせめてあの世へ逝った今では安らかに過ごしているといいなと願います。
そして命は助かったものの重症の方や軽傷の方でもこれほどの事件です。体の後遺症も心の傷も計り知れません。どうか無理をなさらずに体も心も休めてほしいです。
世の中の閉塞感が増えるにつれこのような事件は止まらないだろうな…
加害者は重体状態で聞き取りが出来ない状態なので詳しい動機などは分かりませんが、当然いかなる動機があろうと、被害者の数に関係なく許されることではないです。
ただこういう通り魔的な事件、誰でもよかったの動機から八つ当たり的な事件の犯人の共通点は大体予想が出来るんですよね。
自分への劣等感と罪悪感の増幅とストッパー的存在がないこと。
この2つだと思います。
劣等感と罪悪感は大抵の人は少なからずあると思うのです。
自分は人より劣っている。何をしていても上手くいかない。誰かに迷惑をかけながら生きている。
そしてこんな自分は生きていても仕方がない…。
なんでこんな目に合わなければいけない。幸せそうな周囲も巻き込んでやる!
という救いようがないループに発展していき、取り返しがない結末に辿り着いてしまうことが多いです。
ストッパーの存在は大切ですよね。
極端な話どれだけ黒い感情を抱いていてもやってはいけないことの線引きが出来るかどうか、
それさえも突破してしまいそうな時に止める事が出来るストッパーがあるかどうかで全然違うと思うのです。
そのストッパーはよく人に例えられるからこそ、多くの人が恋愛や結婚願望にいくのですが、自分がひねくれまくっているからか…人こそ1番漠然であてにならないと思うんですよね。
自分が言ってほしいことを言ってもらえるとは限らないですし、それは自分も含めてそうです。
だから人以外で自分の心がほっとできるような何かが必要だと思うんですよ。
本、漫画、ゲーム、食べ物、掃除、練ること…なんでもいいんです。
そんなもの?と言われやすい、それらのことこそが大切な物なんですよね。
因みに私は本や漫画、ゲームと食べ物ですね。
特に二次元はいい作品を見ると気持ちがすっきりしますし、勿論それだけで浮上できるほど純粋ではないので気休めと言ってはそうなんですが。
それでも少しの時間でも嫌なことを忘れさせてくれる、軽くしてくれる作品に感謝ですし、勿論それらを作り上げた漫画家や作家、アニメーション会社には敬愛しかありません。
ゲームはゲーム機がもうないのでプレイは出来ませんが、かつてどはまりしたゲームの数々は今でも宝です。
食べ物も見ているだけで幸せにさせてくれる料理やお菓子、お店等美味しいものを食している時の幸福感は生きているからこそですよね。
生きていたい願望は殆どないけど、これらの小さなストッパーがあるおかげで毎日ギリギリの糸渡りで生きています。
まとめ
遺族の方たちの心情を耳にすると本当に涙が出て悔やまれます…。火災時には本当に辛くて苦しくてなんで自分がこんな目に?と言う無念さで一杯だったと思います。
私に出来ることは残念ながらないのが悔しくてなりません。
せめて募金箱を見かけた時には募金と、今まで見たことがない作品ばかりなのでアニメが放映された時には見てみたいと思います。