もう7月ですね。久しぶりの更新になります。雨続きで蒸し暑い時期になり扇風機が欠かせない時期になりました。心身とも低不調はいつものことですが、割り切りと諦めを念頭に頭では分かってはいても実際には冷静にはなれずどうしてもイライラが募ります。
先月の24日が毒母の命日でした。これで毒父との同居も5年を経過したことに…。地獄の生活を毒母が亡くなる前から覚悟はしていましたが、予想と実体験するのでは全く違い毎日が限界更新。出来るだけ距離を取ることを心がけていても、こちらの努力を無にするように遠慮なしに踏み込んでくる毒父にはうんざり。
造花については以前書いた記事でひと段落したと思ったんですけどね…今日新たに腹が立ったので、追加で仏壇の造花のやりとりについて書いていきます。
引用元:Here and now, unfortunately, ends my journey on PixabayによるPixabayからの画像
自分の意見を正当化しないと気が済まない毒父
姉が今日家に来た途端、造花について毒父が、
「造花は水をあげなくていいのか?」「供花で造花なんてやる家なんてあるのか?」と責めるような口調で聞いてきました。
幸い姉が「造花は作り物の花だから水をあげる訳がない」「お墓参りの時に他のお墓でも造花のところが結構あったし、滅多に来られない人とかが枯れないように思ってだろうからおかしくない」と言ってくれたのですが。
…造花にした時に一応水不要と手入れの削減の為と言ったんですがね…全く伝わらなかったようです。厳密には一応分かったけど自分が造花に水を入れたことへの否定をされたことが悔しかったんでしょう。

だから姉に聞いて肯定してもらい「ほら造花でも水は必要だ。供花で造花なんて常識外れだ」とドヤ顔で言いたかったんでしょうね。言い負かして生花に戻したかったんでしょう。わざわざ私も居る前で自信満々に聞いてきた位ですから。それに私の場合は外勤や遠方への墓参りではなく家にいるんだから生花の準備位出来るだろうとも思ったでしょうね。
用意をする側への配慮など想像もしない毒父
前にも書きましたが普段花なんて気にしない、造花も本物の花と思うような人がなんでそこまで生花にこだわるんですかね。何十年も前に終わった昭和観のままだから供花=生花としか頭にないんでしょうけど。料理をなんでも手作りが一番、冷凍は手抜きと主張する人と全く同じ。準備や後片付けの面倒くささとか全く気にしない。そりゃそうです、言うだけで地味で面倒臭いことなんてやったことなんてない人ですから。

頭にきて「私はもう生花は用意しない。不満なら買い出しと供えと後片付けまでご自分でやって下さい」と言い返したら、お得意の「ちょっと聞いただけだ」とへらへら顔でスルー。
毒母が亡くなってから5年近く毎日ではないけど一応生花の準備をしていた間一度も花を褒められたことはないのに、造花にした途端の文句…。生花がどうと言うのではなくただ自分の理想形に当てはめて言い負かしたいだけ。自分がドヤすることしか頭にない。だから自分にふりかかると途端に逃げるんですよね。
花瓶と造花を撤去しようと思ったけど想像だけで疲れるから止めた
怒りも勿論あるけどあまりに虚しいので、そんなに造花が気に入らないならいっそ花瓶と造花を撤去しようかとも思ったんですよ。線香上げとご飯と水を供えるのは欠かさない毒父だから翌朝気づくでしょうし。
でも「花がない!どこやった!」と朝から大声で騒ぎ出すのを想像した途端にうっとおしいし説明も面倒くさい。たとえ余程不満の様だから撤去したと言ったとしても、「俺は撤去しろとは言っていない。聞いただけだ。花を撤去するなんて母ちゃんが悲しむぞ(以下略)」と、薄汚い言葉がどんどん出てくるんだろうなと思うと想像だけでむかついたので、止めました。
撤去するのと結局戻す手間も面倒だし、普通ならやらなくてもいい行動なだけに、ただ毒父への怒りだけでやるには面倒くさすぎるし。一応飾ってある限り花はある訳だから花に関してしばらくは言わないだろうから(と思いたい)。
亡き毒母へは恨み消えるどころか産んだことへの恨みが募る
もう線香もあげていないので自分が食べる用のついでにお菓子を供えているのと、仏壇の埃取り、たまにマッチの補充しか仏壇関係はしていないけど、今回のことで仏壇を見るだけで余計に嫌になりました。
恨みも相手が亡くなると時間が解決する、癒してくれると言いますが、少なくとも私にとってはあてはまりません。確かに本人にぶつけようがない分現在やこれからの恨みが出てくることはないけど、嫌がらせのようにぴんぴんしている毒父よりある意味更に恨みが深いです。

毒父のように酷い男と結婚し、子供を毒父へのストレスのはけ口代わりにしたり自分の思いどおりに行かないと当り散らしたりお金の無心をしたり、お金を使い放題した挙句貯金が亡くなった途端にすい臓がんであの世逝き。
確かに毒父との結婚生活はストレスフルで、すい臓がんの苦痛は凄まじかっただろうけど、毒父に内緒にしてまでも豪遊はしたし結婚出産で世間体も整い、最期は病死で一応家族に見送られてと私から見れば十分御の字です。

しかも以前より更に地獄化している現世を体験する前に逝けたんですからね。やりたい放題やって、ツケと心の傷をしっかりと残して逝った毒母には恨みが日々募ります。造花どころか仏壇壊したい位です。
まあ外面は良かったけど毒母も私のこと大嫌いだったでしょうからね。でなかったら困ると分かっていて保身の為に子供から金の無心なんてしないだろうし。金の無さの惨めさを知っているはずなのに、生活力や独立への導きなんか何もせずただ飼い殺しした位ですから。毒母のお望みどおり燃え尽きて無気力な生活を送っていますよ(冷笑)。
まとめ
仏壇の生花を造花に替えるだけでこんなに尺を取るほどのことでもなんでもないんですよね…。毒父はただ難癖をつけたいだけ。俺は正しい、お前は間違っている、頭がおかしいの認識しかないから、どう説明しても対処しても無理。まったく人の意見など聞きません。
それでいて姉の意見は一応聞くから余計に腹立たしい。昭和の毒父にとっては結婚出産した姉は一人前ですからね。いつまでも毒父と同居している私はみっともない、これからどうするんだ、失敗作としか思えないんでしょう。そりゃぁバカ親の元に居たらバカになるに決まっているのに自分の責任はまるでなしだから本当羨ましい思考回路です。
年々腐ってくる毒父を見る度に、長生き・生きること・高齢者・親信仰等悪習が蔓延り老害ほどいつまでものさばるこの国も心底憎いし大嫌い。一体毒父はいつまで生きるんだろう…。不死身のようなものだからな…せめて少しでも苦痛を味わった最期を独りで長く迎えてほしいけど、こういう人ほどあっさり楽に逝くんでしょうね。
無能軍人のような父親と、不満を抱えながらも従いストレスを子にぶつけるだけの母親の元になんか生まれたくなかった。人間は勿論、地球上になど生まれたくなかった。欲しがりません勝つまではではなく、休まりません死ぬまではです。