今の時代多くの住宅は便利で清潔が標準装備ですよね。お風呂はお湯が自動でたまるし知らせてくれるし追い炊きも出来る、トイレは水洗様式、部屋も個室が当たり前。一昔前に長屋のような暮らしをしていた私にとって、引っ越し後の今の住居のような環境が最初からの人が沢山居ることがとても羨ましいです。
今回は高校までの当時の暮らしと今でもトラウマの毒母の言葉と行動を書いていきます。
引用元:Bernadette WurzingerによるPixabayからの画像
結婚後の長屋のような暮らしが不服だった毒母
私は18歳の時に家族で引っ越しをするまでは、一言で言うと長屋暮らしの様な環境(1区分に6棟なのでご近所さんは5軒)でした。部屋は姉と兼用なのでプライベートなしなので、学校で辛い目にあった時にも一人でいることが出来ず常に家に居る毒母の目を気にしつつの生活は辛かったです。
お風呂も今のようにワンタッチでお湯が出る訳ではなく、水から沸かしたので狭いお風呂の下はほぼ水のままの時もしょっ中あったし、勿論シャワーもないので洗面器で頭と体を洗っていたので、ゆったりお風呂とは無縁で行水のように短く済ませるお風呂でした。
トイレは和式で汲み取り式だし、間取り的にトイレのすぐ横が台所なので毒母が料理をしている時にトイレに行ったら怒られた位です。生理現象だからどうにもならないのに…。
それでも駅近だったので場所は唯一良かったし、これが普通だと思っていたので特に家自体が変だとは思いませんでした。
だけど幼少から独身の時まで家が嫌いで早く結婚して出たかった毒母には、贅沢な暮らし無縁な生活が予想外だったし嫌だったんでしょう。今では機械で出来るような作業を内職していたし、OL時に同僚には「毒母は長屋暮らしになるような結婚しそう」と冗談で言われたことが本当になっちゃったと愚痴っていましたし(結婚ありきの時代だから結婚後の暮らしの話題は納得するとしても凄いことを言う同僚)。
毒母の性格と生き方についての記事はこちらです。

しかも毒母の兄と姉は裕福なのが皮肉です。裕福を切望する人ほど貧乏になる率が高いのはなんででしょうね。毒父も他の兄弟は裕福だし、多人数の兄弟の中で自分の両親だけ貧乏でバカ親なのかと愚痴りたいのは私の方ですよ(泣)。
毒親の兄弟についての記事はこちらです。

幼稚園の文集に書いた一言をずっと責められた
幼稚園で文集を作ったときのことです。自分の似顔絵と好きな食べ物を描くコーナーがありました(因みに私の似顔絵は小さい子が描く絵の特徴のひとつ、キラキラした目の絵でした)。似顔絵は良いとして、問題は好きな食べ物です。
私が書いた好きな食べ物は、何故か大根飯(笑)
…正直何で大根飯と書いたのかは全く覚えていません。でも文集を見た毒母が激怒。「なんでこんなこと書いたの、文集なんてずっと残るし他の人にも見られるし、私はちゃんと料理をしているのにみっともない」と。
その後の想像なんですが、当時おしんと言うドラマが流行った影響かと(今の子もタイトル名は知っている人が多いと思う位国民的ドラマ)。ドラマ内に大根飯が出て来るらしいし、放映時期を見ると丁度私が幼稚園生の時ですし。
幼少期のトラウマもあってか貧乏や暗い題材のドラマが大嫌いな毒母に対して、毒父は人気作と言うととりあえず乗っかるのでテレビはつけていたんでしょう。だからテレビのセリフを聞いたか、話題で聞いたのかどちらかの記憶が残っていてとりあえず書いたんだと思います。姉に聞いても家の食卓に大根飯が出た覚えはないと言うので。
家族の分の食事を作ってきた毒母にとっては出したことのない、しかも貧乏食のイメージが強い料理名を、子供が好きな料理として書いたのはショックだったかもしれません。
もしかするとその後、毒母が家事が大嫌いと言っていた割に料理に関して凄く力を入れていたのは私の大根飯がきっかけかもしれませんね。

だけど書いたのは幼稚園の時ですよ?そんな深く考えて書くわけでもありません(確かに他の子はハンバーグとか定番の料理を書いていたけど)。
何気なく書いた一言でふいに激怒されてしまったので、結局自分はみっともないことを書いてしまった、親に恥をかかせてしまった悪い子と幼稚園時から否定された上に、あの時はみっともなかったと事あるごとに言われ続けました(因みにおしん本編は今も見た事がありませんし、見たいとも思いません)。
ゴミ捨て場の漫画を拾ってきてドヤ顔で渡してきた毒母
私は幼少期の頃から漫画やアニメが大好きで、姉も漫画好きだったので、当時かなりの数の漫画を買っていましたが、単行本のみで漫画雑誌は買った事はありませんでした。
小学校高学年の頃のある日、週刊少年ジャンプを数冊毒母が持ってきました。初めての漫画雑誌、しかも有名な漫画や私も読む漫画が多い漫画雑誌です。当然大喜びで読み始めましましたが、「ゴミ捨て場にあったから持ってきたのよ、漫画が好きだから喜ぶと思ったから」とドヤ顔の毒母にえ?となりました。
確かにバックナンバーだったし紐で何冊か縛ってありましたが、まさかゴミ捨て場から拾ってきたとは…。
更に当時は今ほどはっきりと資源ごみと分けている訳でもないから可燃ごみと同日だったので、生ごみとかと一緒の場所に捨ててあるし、誰がどのように読んだかも分からない漫画雑誌。いくら子供が漫画好きで、まだ読めるから勿体ないからと言ってゴミ捨て場から拾ってくるかなと。
しかも嬉しいでしょ?と言わんばかりの表情。誰がゴミを渡されて喜びますか。しかも自分のではなく子供にですからね。でも喜ばないと折角あんたに持ってきたのにと機嫌が悪くなるだろうから読みましたけど、モヤモヤした気持ちで一杯でした。仮に文集で母がゴミ捨て場から持ってきてくれましたとか書いたら激怒したでしょうね。
好きな食べ物は大根飯と幼稚園児が文集で書くより、いい大人でしかも親がゴミ捨て場から拾ってきたゴミをドヤ顔で子供に持ってくる方が余程みっともないと思うんですが…。
まとめ
毒母の幼少から結婚前は時々愚痴を聞いていたのですが、今思うと毒父と結婚してから長屋暮らしになった経緯は知らないんですよね。聞かされたこともないし。お見合い結婚時のことや毒父の前のお見合い相手の印象は知っていますが。まぁ見る目がまるでなかったことは分かりますけど。
それにしても長屋暮らしがみっともないと子供を責めるのも自分が選んだんだからお門違いもいいところです。文集で幼稚園児が書いた事くらい笑い話にするか、余程嫌ならちゃんと説明とかするとかの度量もなくただ怒るだけだから、子供にとってはそんなに悪いことを書いてしまったのかと言う罪悪感しか残りません。まぁ好きな食べ物を書く欄に食べたことがない物を書く時点で私もおかしかったのかもしれませんが。
それでも幼稚園の文集なんて当時ちらっと読み返すだけでほぼ放置でしょうからそこまで怒るほどのことかと。勿論文集は毒母の死後に処分しました。
結婚前に予想していた贅沢な暮らしとまるで違う長屋暮らしに鬱憤が溜まっていたんでしょうけど、まだ多くのことがよく分からない子供にはみっともないとしっかりと怒るのに、自分はみっともないことをしていると自覚がないところは本当タチが悪いです。(子供心に嫌だったのでその1回以外は自分の小遣いで漫画雑誌を購入しました)。
専門学校の時に引っ越しして、級友に「お風呂でお湯から出せるから楽になったよ~今まで水だったから」とか雨戸の話をしたら「え…今までどんな生活していたの?」と奇妙な顔をされて初めて自分結構特殊な生活をしていたんだなと知りました。あの時の温度差も結構つらかったな…。因みに長屋は今では10年くらい前に一帯がマンションに建て替えられたので今は残っていません。
一つ一つは取るに足らないことだけど年を重ねるほど幼少期のこと、特にトラウマ系の嫌なことは大きくしつこく覆いかぶさるから厄介ですね。当時から今まで誰にも言えないし言ったところでどうにもならないし下手したらお説教されるのが落ちだろうからせめてブログに書くしかないですし。
けれど今のネット時代はブログを始め匿名で情報発信出来る手段があることは良いなと個人的に思います。悪用や拡散、ネット上での誹謗中傷など怖い点が多いけど、封じ込めるしかなくリアルが全てだった昔も辛かったですから。