今年は毒父のお祝い関係をスルーした

毒親
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11月も終わりいよいよ今年もあと1か月ですね。11月は姪っ子の誕生日があるのでささやかにお祝いしました。姪っ子はともかく11月はもうひとつ憂鬱な誕生日が…はい、魔王こと毒父の誕生日が11月29日なんですよね。

 

誕生日以外にも毒父(親)関係の祝日の父の日、敬老の日はお祝いの強制感が半端ないので、後の面倒くささも考えて仕方なく毎年一応ワンコインプレゼントの用意だけしていました。ですが今年は毒父のお祝いどころか恨み憎しみが募るばかりで自分自身も今までで1番きつい年で毒父への配慮の余裕なんてとてもなく…それでも一応贈っておいた方が良いのかと悩みました。

 

今回は毒父のお祝いごとと感謝の押し付けについて思うことを書いていきます。

 

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お祝いをしたい、しておいた方が良いとは到底思えなかった

今は祝日が嬉しい人は祝日が休める仕事の人やリア充の人たち位かなと。祝日の内容によっては何が祝日だよ!と思えるような祝日が多々あり、私にとっては父の日、敬老の日、祝日ではないけどお祝いの定番の誕生日が苦痛で仕方がありませんでした。

 

元々祝日は祝いたいと言う気持ちからの日と思うのですが、祝おう!楽しもう!の強い風潮の中、完全スルーも難しく今までは一応祝ってきました。毒母生存中は特に祝わなかったけど毒母が亡くなってからは一応毒父も寂しかろうとも思いましたし。

 

と言っても自分も金銭に全く余裕がない上に相手は毒親です。だから喜びや感謝からではなく仕方なくの義務感からなので、以前の記事にも書いたとおり酒飲みの毒父に相応しくワンコイン酒つまみセット位でした。

 

毒父のお祝い関係についての記事はこちらです。

父の日とかの一斉にお祝いの雰囲気がしんどい
父の日が今月にありますね。毒親育ちの人はそれぞれの祝日や誕生日に世間の流れに沿って、親にお祝いをされるのでしょうか。 私は憂鬱ながらもとりあえず贈っておきます、無視すると後が面倒くさそうなので。 バレンタインで言うと完璧義理チョコ扱いですね...

 

去年までは一応家賃なしで同居している義理もあるし面倒くさいながらも用意できたのですが、今年は先日の記事にも書いたとおり同居の限界と虚無感が強く義務すらも苦痛に。毒母が亡くなり3年も一応祝ってきた事だし4年目の今年はもういいやと思いきって、父の日、敬老の日、誕生日とスルーしました。

 

同居のストレスについての記事はこちらです。

嫌いな人との同居が上手くいくはずがなかった
家が無限地獄なのに強制自粛のせいで外も地獄化してしまい生きているのが嫌になる日々です。多くのインドア派が自粛はそこまで辛くないと言っているように、家が快適なら私も自粛自体はまだ大丈夫だったかもしれませんが。時々外出するようにはしているものの...

 

 

親へ感謝するようなキラキラの記事や投書を見る度にイライラしてしまう

俺を祝え!感謝して当然!タイプの毒父にとっては、自分に関係するような特に父の日と誕生日を娘にスルーされたのは秘かにショックでしょうね、自業自得ですが。そもそも祝いや感謝とは自然にするもので押し付けではないですし。

 

けれど自画自賛の毒父にとっては理解できないでしょう。もしかすると姉は秘かにお祝いしているかもしれませんし、祝ってくれなかったと毒父が姉に言っているかもしれませんが、まぁ好きに言ってくださいと言う感じです。私は十分義理を果たしたしどうでもいいやと。大体毒父は自分の両親にお祝いなんてしなかったのに、毒親は自分がしていないことを子供に強要させるから勝手すぎてイライラきます。

 

それにしてもテレビは勿論新聞でも記事や投書欄の多くが親に感謝します、亡き親を想いますとか、親に反抗したことを後悔していますとかキラキラな感じばかりでうんざり。高齢者賛美の内容を高齢者が見るから、どんな親でも子が感謝して当然等のように迷惑な勘違いをするんだろうなと。(まぁ本当に尊敬や敬愛、感謝しているのだろうから自分の嫉妬でしかないと分かるから余計にきつい)

 

高齢者賛美についての記事はこちらです。

今の高齢者が長生きしすぎ、反対に若い人がどんどん早死にしている
多くの人が思っている事と思いますがもう日本は滅びの方向に向かっていると思います。色々な要因があるのですが、大きな原因として高齢者が多すぎる問題。長生きはいいこととずっと言われていたのですが、長生きがいい!まだまだ生きるぞ!と豪語している高齢...

 

日本をめちゃくちゃにしたことに対して謝りもせず平気な高齢者が多すぎる
年齢による格差が広がっていると思いませんか?年齢による格差は出来ればない方が良いに決まっていますがそれに反して年々強まっている気がします。 それもそうでしょう。年齢による待遇の差があまりにありすぎるからです。 私も多くの高齢者に優しい目で見...

 

これじゃテレビや新聞が高齢者が読む率が高いのも若年者が離れていくのも納得です。単純に活字離れだけではなく偏向気味の内容が原因もあるのではないかと。40代の私ですら今は殆どパラ見ですから。

 

劣化するメディアについてのきじはこちらです。

情報化社会ではなく要らない情報化社会
2000年代頃からでしょうか、情報化社会と言われ始めたのは。確かに情報は知っているほど得な感じですし、知ってよかったお得情報に触れられたらとてもいいことと思います。

 

新聞は毎日読めと言うのはもう死語か、逆にもし強要されたら国の洗脳や世間の同調圧力の一種かなとも思ってしまいます。もう世代を問わず人の大半が老害化しているような気がしますね。

 

 

まとめ

毒親育ちにとって家族関係の祝日やお祝いムードの行事は苦痛でしかないです。クリスマスも以前は恋人同士の恋愛圧力で、いつの間にか友人などの親しい人たちになり、今年はコロナ禍で以前にもまして家族の絆とかお家でとか、とにかく家族家族で問答無用で家族は素晴らしい感で心底うんざり。

 

また自分たちを賛美するテレビやニュースを見る割合が多い高齢者や毒親ほど、自分は素晴らしいと勘違いしているから余計にたちが悪いです。

 

とりあえず11月が終わりほっとしています。今年はもうほぼ毒父とは口を聞いていないし自分もイライラが止まらずあからさまに拒絶をしているので、流石に毒父も自分のお祝い関係の話題を軽口でもしませんが、もし毒父がお祝い関係について言ってきたら言い返す心構えはしていたけど何も言ってこなかったので良かったです。ところで毒親育ちの方は毒親のお祝いをしているのでしょうか。検索してもあまり分からなかったので秘かに気になります。

 

来月のクリスマスや年末、お正月を含む家族ムードが今からうんざりですが、もうひとつ憂鬱なのが下旬にある私の誕生日です。毒父が毒母亡き後から毎年ケーキを何個か買ってくるんですよ…。正直要らない…。

 

毒母が生きている頃は何もしなかったし誕生日も覚えてなかったのに、今更取ってつけた感といい親アピールか見下し感がイラつきます。でも今年は何もお祝いしなかったのでスルーかもしれないけど、やらなくていいことはやるのにやってほしいことはしない毒父だから分かりませんが。

 

産まれてきたくなかった私にとっては、誕生日なんて若い頃ならまだしももう苦痛しかありません。人格破壊してくれた毒父からのお祝いなんて皮肉ですよ。更にケーキを多く買ってくればいいと勘違いして人の胃袋なんか配慮しないから、食べ物に罪はないから無理にいつも食べるのがきつい…。

 

パフォーマンス的なお祝いより、大人しくスルーするか自分のことをしっかりやってくれる方が何倍も嬉しいんですが、物を渡して自分が満足する感しか考えない毒父にはもし言ったとしても通じないでしょう。やりとりをするのも面倒だからしないけど、多くの人が嬉しい筈の家族や自分の誕生日が憂鬱なんてとてつもなく切ないし哀しいし虚しいものですね…。

 

毒親うんざり
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