【毒父幻滅エピソード】毒母のすい臓がん発覚から葬式後

毒親
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毒父との同居に毎日イライラうんざり幻滅していますが、毒母のすい臓がん発覚から葬式後も毒父の横暴ぶり凄かったよなぁ…と毒母の仏壇を見る度に思いだします。あれから4年経っているので当時ほどはっきりとは覚えていませんが、凄くしんどかったのは覚えています。

 

毒父のイライラエピソードは沢山ありますが、毒母の最期の前後で特に頭にきた毒父エピソードを書いていきたいと思います。

 

引用元:
katerinavulcovaによるPixabayからの画像

 

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毒母のすい臓がん発覚から亡くなるまで

毒母のすい臓がん発覚は流石の毒父も衝撃を受けていたと思います。何せ自分の方が先に逝くから残ったお前らは大変だなと根拠のない自信を持ち言い続けていましたからね。まさか自分より先に奥さんが行くとは思いもしなかったでしょう。私と姉も毒父の方が先に逝くと思っていましたから。なんとなく年齢順と思っていたし、毒母は気ままな楽天家だから長生きするだろうなぁと。毒母の死は本当人間はいつ亡くなるかなんか分からないなと痛感しました。

 

毒母の葬式についての記事はこちらです。

毒母が亡くなる前の様子や葬式や葬式後の大変だったこと
今年で毒母が亡くなって今年で4年経ちますが、もっと年数が経った気がします。毒母の亡くなる前の半年間は本当に大変だった…自分でなけなしのやる気を使い果たした最期の年だったと思います。当時はブラック企業で人間関係ずたぼろの時期に毒母の余命宣告で...

 

毒母の療養生活が始まってからは毒父と姉が検診時など車の移動を担当、私は毒母の話し相手と若干の家事。毒母から家事を毒父と私で分担しできるようにする為にここで色々教わりました。恥ずかしながら家事は殆どやってこなかったから、今までのツケが一気に来た…少しでもやっておくんだったと後悔しきり。

 

すい臓がんの怖さは進行が凄まじく早いこと。楽天家の毒母も周りも最期を迎える覚悟をしましたが、毒母から助からなかったらごめん…と気落ちして言われた時には切なかったです…。毒母は金遣いが荒いこと以外は基本面白い人だったから、苦しい姿とか見てもざまぁみろとかは思いませんでした。毒父なら思うだろうけど。

 

お墓についてはお金や管理面からどんどん簡略化しつつあります。毒親たちはお墓にお金はかけない派なので助かりました…墓代も墓守も無理なので。だから色々調べてよさそうな樹木葬の場所へ見学にして決めました。そこは1つのスペースで追加で料金払えば4人までは入れるのがいいです。でも気落ちしている毒母を連れての樹木葬見学は正直辛かったです…毒母はまだ生きたい派だったからなぁ…。

 

毒母の食欲と元気がなくなる姿を間近で見るのは辛く、さすがの毒父も気が参ってしまい家の雰囲気はとにかく最悪でした。元々大嫌いな毒父と色々話し合わなければいけない機会が増えてしまったのと毒母のしんどさを目の当たりにする、おまけに仕事もパワハラや人間関係でストレスMAXに。亡くなる1か月前までは毒父にもイライラしたけど、職場のストレスが半端なくて正直この頃は自分もメンタルで死ぬ思いでした。

 

すい臓がんは本当恐ろしい病気です。食欲が一気になくなり(味が全くしないそうです)、検査も沢山あり、痛み止めもあまり効かない、あんなにコロコロしていた毒母の体型が見る見るうちにやせ細り、最期の方は衣服の着脱も出来なくなってしまいました。

 

亡くなる1週間くらい前に毒母から葬式についての要望を言われました。それは亡くなる前は自分の妹と毒父の親戚、特に長男と次男の嫁さんは呼ばないでということと葬式には花を沢山置いてほしいと頼まれました。ああ…あの嫁さんSはうるさいし確かに会いたくないな…自分のことばかりで見下し感満載な嫁さんSですし。

 

本当に数人の家族葬もあるので毒父に言ったら、旦那として親戚を呼ばず家族葬にするなんてみっともないことができる訳ないだろう。お前は非常識だと怒鳴られまくり、こりゃダメだ…と断念。それにしても葬式と言うけど葬式代もないのに見栄の方が大事なのか…と幻滅でした。毒父の世代はきっちり葬式が常識だろうけど現にお金ないんですけど?毒母も呼ばないでと頼んでいるのに毒父の兄妹の嫁を呼ばなければいけないのか…と古臭いしきたりに、葬式とかに全く興味がない私にはかなりうんざりしました。

 

しかも毒母は花好きだったのに肝心の花は少な目でいいなとか言ってるし…。いや、故人が好きな花は多めにしてやんなよ…毒父と感覚がまるで違うことに疲れ果てました

 

亡くなる3日前の夜中に毒母が苦痛から叫び声をあげて救急車で運ばれ、その日から泊まり込みをした毒父は流石にくたくただったようで口数は少なかったです。危篤時に毒母の元へ毒父の親戚が駆けつけましたが、大声でうるさいし、よく危篤患者の病室の外で宝くじの話とか出来るよな…と疲労が更にUPして親戚へは嫌悪感しかありませんでした。

 

亡くなる数日前はもう目も開かなかったのですが、親戚がきて大声で話した途端目を少し開けたらしいから耳は聞こえていたみたいです。呼ばないでほしいと頼んだ親戚がきていたことに気づいてしまっただろうか…私は呼びたくなかったよ?毒父が呼んだんだからね!と内心思いました。

 

 

葬式から葬式後まで

亡くなったらすぐに病院を離れなければいけないので大変でした。毒母の着替えの服を急いで姉と自宅まで急いで取りに行ったけど(失念していました)、用意していなかったことで毒父の姉に怒られ、葬儀会場まで運び葬式の打ち合わせから通夜や葬式当日までドタバタでした。気持ちの整理をつける間もなく手続きややることだらけです。葬式まで終わった時には本当にホッとしましたね…。食事の際に毒父が本当に魂抜けた状態でがくりとしていましたから。

 

葬式は毒父が喪主としてもあるけど相当自分に都合がいいように解釈していました。普通会名をつけるとしたら故人を偲ぶ会とかですよね。だけど毒父は(身バレ防ぐために書けないけど)特殊な会名をつけたので恥ずかしくて仕方なかったです、葬儀会社の担当者にも言われる位。会場には自分のポエムを飾るし、…何この自分本位の芸術家タイプは。

 

故人へ贈る言葉も自分本位でした。俺と結婚できて幸せだっただろうとか、挙句にまだ俺をあの世へ呼ばないでくれよな、とかふんぞり返ってるし。毒母は毒父を首を締めたくなると結構私に言ってましたけど?私としてはさっさとあの世へ連れて行ってほしい位だけど、毒母からしてみればすぐに来てほしくないだろうなぁ…。

 

通夜の夜は私と姉で会館で泊まることにしたので毒父は友人宅へ泊まったのですが、その際に間違えて友人のパンツをはいてきてしまったらしく(…大丈夫か?)、じゃぁ新しいパンツを買って返しなよと姉と言ったら、2枚入を1枚だけ返そうとしたからせこすぎる!!と姉と大反論。いや…泊とかでお世話になったんだし、2枚ともそのまま返しなよ…と毒父のせこさを改めて認識。しかも結局自分のパンツだったと言う…なんて人騒がせな…。凄まじいスピードで疲労度をどんどん増やしてくれるなぁ…毒父は。

 

通夜後は健康保険と年金の手続きをしに市役所へ。手続きも書類関係大嫌いの毒父が勿論書くわけはないので全て私と姉で手分けを。毒母は世帯主ではなく携帯やクレジットカード、ネット関係一切利用していないので手続き自体は少なかったですがそれでも面倒でした。

 

 

葬式後から埋葬まで

手続き関係などやらなければいけないことがひと段落すると、毒父とのマンツーマン同居の地獄が連続でした。

 

毒父はATM使い方やお金の管理ができないから結局私が預かることになったけど、封筒に分けて渡した途端こんなみじめなことをされるのか!今まで自由にさせてきたのによ!とか訳の分からない激怒をされるわ、とにかく俺のおかげで生活出来てるんだぞ発言が凄すぎて確かに同居している私には余計に屈辱まみれでした。でも食費や小遣いは勿論自分の貯金だし、家賃や光熱費は毒父の年金とかだけど私がいなくてもかかるんだからそこまで偉ぶられる筋合いはないと思う。

 

大嫌いな人と同居は半端なく辛いことを痛感しました。仲の良い友人でもルームメイトになると仲悪くなりやすいと言うくらいですからね。

 

埋葬ではお坊さんを呼ぶ呼ばないで毒父と対立。無宗教の癖に形を重視するからお坊さんを呼ぶと言い放ってるけど、お金がかかるんだよ!そんなに言うならあなたの小遣いから引くからね!と言ったらしぶしぶ了承。

 

だけど埋葬日当日では前日に買っておいた花にもっと高い花を買うべきだといちゃもんをつけて結局当日花を買うことに。私と姉で4,000円の花を買ってから行ったので遅刻してしまい姉さんには渋い顔をされるし、当の毒父はへらへら笑っているしむきーーって感じでした。花束は埋葬前後に墓の近くに置くだけであとは持って帰って仏壇に飾るんだからそれなりの花で十分だったのに…はぁ…。

 

埋葬後の食事会でも喪中ハガキを数十枚刷っておけとか言ってるし、2枚しか出さないのに何でそんなに刷る必要あるのか、もう本当に訳分からなくて結局我慢できずに会食の場で大ゲンカ…怒りを抑えるべき場でしたが当時は我慢できませんでした。

 

仏壇で毎日3回も線香とおりんを鳴らしているけど、線香はあの世へのお手紙と言う意味らしいのでどれだけ手紙を出すんだろうか…しかもおりんはお経を読む前に鳴らすものだから意味ないんだけど。言っても仕方ないしなんとなくおりんはあると鳴らしたくなるからいいけど、それにしても遺影の前で毒父は何を祈っているんでしょうね

 

どうせ自分に都合のいいことを祈っているんでしょうし、あれだけの訳分からない毒親だから何をしてもポーズにしか思えないんですよね。俺はきちんと妻のお参りをしているんだぞオーラが半端ない。

 

 

まとめ

今回の記事を書くときに当時の日記を引っ張り出しました。毒親や仕事場とストレス全開で壊れそうだったので当時は日記にせめて吐きだしていたのですが、毒母のすい臓がん発覚時の職場でのストレスなど半端なく、正直よく頑張ったよ私…と褒めたいくらいです。

 

毒母が亡くなってからは毒父にうんざりの同じ立場の人(毒母)がいたことで結構ストレスが減っていたんだなぁと痛感する毎日です。勿論毒母自体のストレスはあったのですが、今のように2人きりだとクッションがありませんから、毎日狂気と必死で戦っています。よく4年近くも我慢しているよ自分…。

 

毒父へのイライラの基本は俺様なところでしょう。俺のおかげで、誰のおかげで、~してやっているなど俺が最強と物凄い天狗なんですよね…一体何様のつもりなのか、俺様ってことか。俺が死んだら俺のありがたみが分かると言い放っていますが、それは自分以外の誰にも言えることなのに、本当に自分が一人ぼっちにならない限り分からないんでしょうね。

 

身近な人が亡くなったら少しは毒父も代わるのかなと今思うと甘すぎる幻想を抱いたのが間違いだったんだなと。それまでも嫌悪感満載でしたが毒母の最期前後の毒父の様子が毒父を見限ったトドメでした。

 

 

 

 

毒親うんざり
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