もう5月になりましたが、今年も自粛強要でうんざりのGWですね。私は元々外出予定もなく逆に毒父が居る時間が大幅に増えるだけのGWなので嬉しくもなんともないですが。そんな時でもキラキラ族はお家で!家族で!と推してきますが、GWを始めとする長期休みや祝日等はパリピやお幸せな人たち前提だなと改めて痛感します。祝日なんて殆どが家族関係ですし。
更には毒親ほど親孝行等祝ってもらうことに敏感なのも厄介。親なら誰でもではなく祝ってもらえるような親や祝いたいと子供が思う前提なことには気づかず、自分は素晴らしーと思い込んでいるから手におえません。頭がお花畑の毒親は祝日でもこっちは毎日が粛日なんだよと言いたい(同じしゅくじつでも雲泥の差…)。
自粛強要の風潮ですが長期休みの定番は旅行や外出かなと思います。私の場合家族旅行(外出)は10~20代までで泊まりより日帰りが多かったのですが、どれも楽しい思い出はありませんでした。
今回は休日時の家族旅行が苦痛だった理由について書いていきます。
引用元:❤️A life without animals is not worth living❤️によるPixabayからの画像
毒親が行きたいところについて行っただけ
今まで記事に書いたとおり学校生活が苦痛だった自分にとって、外出は学校の誰かに会うのではないか等怖くて仕方がなかったし、生来の面倒くさがりもあって億劫でもありました。


だから家でごろごろしていた方が余程良かったです。けれど毒親は家族信仰や世間体を気にするので、長期休みの時には家族で出かけることがとても多かったのが厄介でした。

行き先も毒親(どちらかと言うと毒母)が行きたいところを決めて、電車より車が楽なので車を運転できる毒父がトップに君臨、毒母が家族全員の荷物の準備をすると言う基本形で、私に行きたいところの希望など聞かれることもなくただ強制参加。
もし断ったとしても嫌な顔をされるか否定されるかで、一人で留守番など許されるはずもないので、しぶしぶでもついて行った方がマシだから断ることはほぼありませんでした。
毒親の機嫌を損ねないようにする事ばかり考えていた
毒父はせっかちで待つことが大嫌いなので、行く時にはよく裏道などを使うのですが舗装されていなかったり曲がりくねったりと小道が多いので、車酔いする私にはしょっ中酔うことも憂鬱な原因のひとつでした。
言ったところで運転を緩めるような毒父ではないので、酔い止めに飴を舐めたり水分を取ったり自分で緩和するしかなく、それでも途中で車を止めて外の空気を吸うことも多かったです。毒父も運転しないと酔う性質なのに、車酔いの辛さは運転時にはコロッと忘れるので本当に自分のことしか考えていないんだなと。
現地では王様の毒父と隷属の毒母の機嫌を損ねないように気にしていました。毒父は大股で歩くのが早く、他の人の速度など気にせずどんどんマイペースで進んでしまうのでついて行くだけでも大変です。ゆっくりのんびりとは終始真逆だし、時間と毒父の機嫌次第でさっさと移動しなくてはいけないので、家族旅行と言う名の接待や軍隊の訓練の気分でした。

毒母は写真が大好きなので事あるごとに写真を撮りたがるのにも苦痛でした。自分の外見が大嫌いだったので姿形が映し出される写真など当然大嫌い。だから自撮り等今の写真ありきの風潮は全く興味がわきません。
自意識過剰ですが写真を撮っている時に周りに見られていることも嫌だったし、表情やポーズをつくるのも苦手だったので微妙な表情の写真ばかりだったから、毒親や姉は自然な表情とポーズなのも辛く余計に写真が嫌になりました。
一人旅でもいいから自由に旅行をしておけばよかったかな
旅行の醍醐味は観光以外では宿泊先での食事や温泉も大きいと思いますが、食事も温泉もどんなだったか覚えていません。食事は美味しかったと思うし温泉も広々だろうからゆったりできたとは思うのですが。毒親の機嫌を優先にしていたし強制だったから余計に楽しくなかったんですよね。
気をつけてはいたものの失敗談で覚えているのが、宿泊先の部屋の冷蔵庫の飲み物にちょっと触れてしまったことです。怒られるのを避ける為に飲み物はそのままにして黙っていたけど、結局会計時にばれてしまい(冷蔵庫の性能良すぎ…)、勿体ない!とこっぴどく毒母に怒られたのは覚えています。それにしても数百円でそんなに怒ることなのだろうかと、ますますうんざりと緊張しっぱなしでした。
せめて学校卒業後に近場でもいいから一人旅でもしてみたかったなぁというのが本音です。ゆったりと気ままに自分が行きたいところを訪れてみたかったと言うか。でも専門学校時は多忙、20代前半は旅行よりコミケ一直線、後半はニート、30代は仕事と家と全てにおいてストレスで旅行したい気分もお金も失せてしまったので、結局願望で終わりましたが。

どっちにしても現在はコロナ禍や自粛風潮で旅行気分ではないですし。ただコロナを通して多くの観光地は、結局は勝手なことを言っているだけの対応が露呈されたから、もし自粛風潮も自分の状況も落ち着いたとしても旅行気分にはもうなれないでしょうね。一気に色々なことが色褪せてしまったと言うか…景色や場所の見どころが多い日本だけど、どこ行っても人が居るのもうんざりですし。
まとめ
毒母の遺品整理時にアルバムを見た時も全く出来事を思い出せませんでした。行ったことすら覚えていないことも多かったので、認知症の始まりか余程記憶から消したかったかでしょうか。因みにアルバム(写真)はとっくに処分しました。家の中にあるのも嫌だし山のような写真は正直邪魔だし誰も見返してはいないので。
折角の旅行だから景色や食事などだけでも楽しみたかったですが、毒親の顔色伺いに専念してしまったのが原因でしょうね。数少ない泊まりもジュースの嫌なことしか覚えていないと言うのが切ない。
自分の希望を聞かれるわけでもなくただ毒親たちについて行ったことも大きいでしょう。でも希望を聞かれたとしても答えられたか分かりませんが。却下されるか結局毒親の希望通りに変更か、もし自分の希望地でも毒親がつまらなく思ったらもう台無しだし余計に気を使うのでやはり言えなかったかもしれません。
そもそも嫌いな人たちと強制的な旅行が楽しい訳がないです。これも年数が経った今だから結果論として分かることですが。当時は気持ちを割り切れるような器用さなんてありませんし。
25歳からは姪っ子誕生もあり姪っ子家族との共同外出が増えましたが、姪っ子が5歳以降位かは断るようにしました。毒母も毒父と2人で外出するようになったし(あれだけ仲が悪いのによく出かけるなぁと特に毒母の考えはさっぱり分かりませんでしたが)。行きたくない時には断るようにして、毒親も諦めて納得してからは観光関係で行くことが殆どなくなったので気持ちがかなり楽になりました。
旅行は当日以外にも準備や計画等から帰宅後まで労力を使うので、やはり出来るだけ若いうちにニートなんて気にしないで行っておけばよかったかなぁとは後悔しています。でも仕事していないし罪悪感と劣等感で一杯だったし日常生活を送るだけで一杯一杯だったから、旅行を楽しめる気分ではなかったからやはり難しいか…。
だから旅行大好き!いつでも行ける!楽しい!ストレス解消!タイプの人が、超面倒くさがりで無気力体質の私には別世界で別次元に思えます。旅行に限らずそのバイタリティをほんの少しでも分けて欲しい…。