暑さはまださほどではないけど自室が結構熱気がこもりやすいので、寝苦しさの気配を感じます。油断すると急に冷え込むから、暑さに弱い反面冷えやすくもある面倒な体質には本当衣類や布団の調節が難しい。
今月は毒母の命日の月です。亡くなってから6年。毒母がしてきたことのダメージはくすぶり続けるものの、毒母自身の記憶は薄らいではきました。姿とかは遺影を見てふと思い出すくらいです。
今回は今日のお使いでの洋服やお菓子選びを通して、毒母がしてきたこと含めて今の気持ちを書いていきます。
洋服は毒母が選んだ物しか認められない
以前から上着のパーカーが欲しかったんですよ。1着あるけど買ってから10年以上も経つので、色あせや落ちない汚れなど気になるし、外へあまり出ないとは言えもう1着欲しいなと。猛暑日以外は日差し直焼け防ぐためでも上着利用率高いし。
だから地元のスーパーで手頃な値段で着やすそうなのを買ってきました。色は迷ったけど薄紫色で無地。特徴はさほどないけど普段着られれば充分。あと部屋着のハーフパンツも。商品入れ替えだったのでお得な値段で購入。少し厚めの生地だけど丈が短いので丁度良い。
試着室はスーパーにはないので、2着とも家で試着し問題なかったので良かった。
ふと思ったのが毒母生前の頃は洋服も自由に選べなかったなぁと。まだ判断力が低いかもだけど、1番娯楽を謳歌できるはずの10代に毒母の選んだ洋服のみとは・・・(悲)。当然自分の好みではなくても着ざるを得ません。
多くは10代から自由に選べるはずの10代が全く自由無し、それどころか20代、30代も雀の涙で短期間とはいえ給料を得たから10代よりは自分で買えるようになったけど、買った後もしっかり毒母の感想付き。毒母が気に入らないと必ず難癖を点けられるのが苦痛で、結局毒母が気に入りそうな物を選んで買う傾向にあったから、本当に自分が気に入って買った服はごく僅か。
毒母が亡くなってからはようやく本当に自由な筈なのに、洋服を選ぶ時にも毒母の嫌な感想を思い出してしまうから、毒母の選んだ洋服全て処分して入れ替えたいくらいです。だけど情けないことにそうするとほぼ洋服消失になってしまうので、あまりにも私の好み外の服はさっさと処分したとは言え、今も大部分が毒母の選んだ洋服だから余計に悔しい。

お菓子も毒母の趣味が殆どだった
思えばお菓子も殆ど毒母好みの物を食べていました。毒母の買うのは味が濃い物や、当時は今と違い景気が良かったので、大増量なポテトチップスなどの袋菓子をよく買ってきました。
だけど食べきれない時やお腹が苦しい時などでも、全部食べないと不機嫌になる毒母。お菓子以外の食事全般でだけど、毒父と姉はもう良いと許されるのに、2人が残した分を私が片付ける(食べる)ことになってしまうので、心身ともにかなりきつかった。

20代になってようやく毒母が買うお菓子を知る範囲が増えたくらいです。
今は生前毒母がよく食べていた市販菓子は、敬遠してしまいほぼ食べません。むしろ食べたことないお菓子を買うようになっているので、以前の記事のように失敗もあるけど、新しいお菓子や味や好みを発見することが多いです。

年々仕方なくの気持ちが募る形だけの追悼
今は仏壇関係で私がやることはごく僅かです。造花だし、お菓子を添えるくらい。お菓子も以前は物産展にあるような名菓や幾分高級なお菓子、毒母が好きなお菓子とかだったけど、値段も高いし気力も失せているので今は市販菓子が殆ど。
面倒だけど何も仏壇に置いていないと毒父と姉の圧が強いから何かしらは置かないとなぁ・・・と言う渋々感が強いです。だから市販菓子も自分が後日食べられるどら焼きとかカステラのように、賞味期限もなるべく保つお菓子にして出来るだけ買う手間を減らすようにしています。
毒母が亡くなった数年位は一応育てて貰ったしと、思うところも沢山あるけど無理矢理本音を押し込んで、世間の亡き人を悼む綺麗なイメージを真に受けてきちんと自分なりにやっていました。だけどいくら思い返してもやっぱり毒母のことが嫌いだし憎んでいるので、悼むなんか無理です。

だからストンと一気にやる気が失せてしまって、本当に惰性でやっている感じ。線香も全然あげていないので毒父の圧避けとしてマッチの補充くらいしかしていません。造花にするくらいで一悶着おきるので、毒父とは合うことはないしどうしようもないので、出来るだけ関わりたくないです。真面目にやるほど馬鹿を見ることは身に沁みましたから。

毒父と姉はしっかり毒母を悼んでいるけど私には無理
因みに毒父と姉はちゃんと悼んでいます。没後数年よりは気持ち落ち着いている風ではありますが。
毒父は亡月の6月には必ず仕事を休んで墓参りします。先月からカレンダーに休みしっかり取っていますしね。毒父の気持ちなんかどうでも良いけど、私から見ると茶番にしか見えません。
結婚してからが地獄の始まりとか、食卓など日常での精神への横暴ぶりとか、完全男尊女卑思考からの毒母への見下しぶりとかさんざん見せつけていたのに、亡くなったら一転して良い思い出として記憶改ざん、ご都合主義ぶりですからね。分かっていてなのか本当に忘れているのかは知らないけど、ふざけんじゃねぇわとしか思えない。

墓参りとか普段の線香で遺影の毒母と何を話しているか知らないけど、被害者面か良い父親(旦那)アピールとかなんでしょうね。もし自分の暴君ぶりを悔やんでいたとしても、それこそ遅いし信じられるわけがありません。
姉の場合、以前は高級やお洒落なお菓子を供えたけど最近は殆どないなぁ・・・。姉も家庭内や金銭が苦境だから余裕が今は無いんでしょうね。家に来ると線香は必ずあげるけど。
あと命日の6月には必ず地元の和菓子屋さんで水無月というお菓子を買いますね。昔から姉が凄く好きなお菓子だけど、主な理由は毒母がもう余命が長くない時に、意識薄い中で姉に水無月を買ってきてあげてと毒父に買い物を頼んだことからです。
その時は結局毒父が(お菓子屋さんに行ったことないので)買い方がよく分からないので買わなかったんだけど、後日姉に話してからは毒母の遺言だからと必ず買うので、儀式のようなものです。
毒母が意識朦朧で言うほどなので、前後にてっきり姉が水無月食べたいとか言っていたのかなとか思っていたんだけど、亡くなる間近の親の前でそんなこと言わないとしっかり全否定したので、毒母には姉が好きな季節のお菓子と言うことで余程記憶にあったんでしょう。
まとめ
毒父も姉も日々毒母をちゃんと悼むから、前は悼めない自分に罪悪感と虚無感が一杯だったけど、数年経った今でも、時間が経ったから許すとか毒母のしてきたことを良いように考えるなどとても出来ません。毒母の過干渉がなければこんなにまで生き方が下手にはならなかったのではと思うし。
古い考えかもしれないけど、個人的に子育てはやはり母親(女性)が大切だと思います。極端な話、父親が酷くても母親がまともならまだ救いがあるのではないかと。自分の洋服や食べ物を本当に自由に選べたのが毒母亡き後とはどう考えても異常でしょう。反面親として重要な責任が伴うことや面倒なことは自分で考えろと丸投げだしさ・・・。
それに毒母の毒父や姉への分のストレスや愚痴やはけ口は自分にいったわけだし、正直毒父や姉が私より奔放に過ごせたのも、マイナス面ばかりを引き受けてきた私のおかげも大きいと思う。言える訳がないけど。
だから表だって絶対言えないし前にも書いただろうけど常に思います。膵臓がんの痛みとかは置いといて、毒母はやりたいことをやりきって、更には家以外の世の中含めて今のより悲惨な状況になる前に亡くなったから羨ましい。今更こんなことを言っても、毒父に対してと同様自分が完全に悪者になるだろけど。
一方私は毒母がやってきたことのマイナス面だけを押しつけられたのに、私自身には何も助けがないと言うまさに踏んだり蹴ったり状態が本当泣けてくる・・・。本当馬鹿を見たなぁ・・・。
更に救いなしのところは、学校は社会の縮図と言うけど、家も社会の縮図だから国単位でも同じなところ。国でも家でもやりたい放題やった先人の負債や処理や責任だけがのしかかり、助けはなく自分自身は自分でなんとかするしかない末に切り捨てと見事に絶望ルート。いつの時代もまっぴら御免だけど、現代も充分反吐が出るくらい酷い時代と思います。