先月(6月)24日の毒母の命日で4年が経ちました。亡くなった直後から三回忌までは毒持ちと言っても良いも悪いも記憶が鮮明だし悲しみ等色々な感情が占めていたのですが、やはり4年も経つと色々なことが当時とは結構変わってきました。毒母が亡くなった後のことは以前にも記事にしましたが、今回は毒母が亡くなって4年目を迎えて改めて思う当時と変わったことと叔母さんへのお礼等について書いていきます。
仏壇関係が最低限に、記憶も朧げになってきた
仏壇関係には小さな手入れが色々あります。花を飾ったり遺影や仏壇を拭いたり灰を入れ替えたりお供えや線香の準備など。私がしているのは花を飾る、遺影と仏壇を拭く、線香とマッチを買っておくなどで、毒父は灰の入れ替えと水とごはんやリンゴなどの果物などのお供えをしています。灰の入れ替え後に雑だから飛散った灰のふき取りは私ですけどね…(遠い目)。
ミニサイズの仏壇なので花瓶も小さめの為、買ってきた花をそのまま生けるのではなく花瓶にあう位にコンパクトにカットするのも地味に大変です。花瓶を洗ったり水を入れ替えたり枯れた花のゴミまとめをしたり…色々あるんですよね、それぞれの作業の準備と後かたづけが。
最近は生来の面倒くさい気質と気鬱と疲労が重なりだんだんと億劫になってしまい、花が枯れてもしばらく後に交換、線香も週1回くらい、供え物も仏壇に何もない空の状態も多くなってしまいました。
亡くなった直後から1年位が1番きっちりやっていましたね。花が枯れてしまったらすぐに花を取り換えたり、線香も1日1回ほぼ毎日していたり、一応ちゃんと手を合わせて1日の報告をしたり仏壇への供物もお菓子などを何かしら毎日置いていたのですが。
親子関係や性格が大きいと思いますが、4年経つとこんなもんかなと。身近に居ないと記憶はどうしても朧げになり、大きい出来事などや忘れたいことほど覚えているけど今はなんか他にあったかなぁと思う位になってきました。
毒母の亡くなる前後についての記事はこちらです。

そういう意味では苦痛は時が解決するの言葉には納得もします。正確に言うと解決ではなく薄れさせて自己消化すると言う感じでしょうか。どうしたって逝った人には二度と会うことはないですから。だから毒母の死後は幽霊とか守護霊とか地縛霊とかの霊関係は信じなくなりました、霊感がないからと言うのもあるかもですが。
毒母が亡くなってからの記事はこちらです。

あとは何回も言ってしまいますがお金関係と、思い切りのさばらせた毒父を押し付けて逝ってしまったようにしか思えない毒母のことが今でもどうしても許せません。だからますますそこまできっちりやらなくてもいいかな~と思うようになってしまい、スズランのように下がりようやく花を変えている位です。
生花ではなく造花やドライフラワーにしようかなとも思ったんですが、もし毒父と姉に突っ込まれたら嫌ですし毒母は花が大好きでしたからね。だから一応花位は生花を飾ろうかなと。
毒父のお姉さんへのお返しをようやく贈れた
毎年毒父のお姉さんから毒母の供養代(食事代含む)として現金をくれるのですが今年も頂きました。ありがたく思うべきなのですが叔母さんと言うと、どうしても数年前の毒父の叔母さんに感謝しろよ発言がずっとこびりついているのでイラッともきてしまいます。
叔母さんについての記事はこちらです。

叔母さんにはどうしても毒母の治療代の大きな援助とかもあるから流石に知らん顔できない点も他の親族とは違い更に憂鬱です。結局私がお返しの段取りなどを考えなくてはいけないですから。毒父は叔母さんから貰ってくるだけで私に丸投げだからいいけど。
姉と相談した結果、分割することに。毒父、姉、私分へのお小遣い替わり分と、毒母へのお供えと叔母へのお返しにすることにしました。
普通は家族で故人を悼んだ食事会するのでしょうけど、私は行かない、険悪な毒父と無理に形式だけの食事会するならひとり食事会の方がよほどいい、やりたいなら毒父と姉でやってと姉にはっきり言ったし毒父も何も言わず。自分がしてきたことは棚に上げてイベントや形が好きな毒父にとって本当は食事会をしたかったかもしれませんけど流石に言ってきませんでした。
叔母さんへのお返しも叔母さんから貰ったお金で返すのも変ではあるけど、時期的にお中元の季節なのでまぁいいかなと。本当は命日から数日後以内の方が良かったんですが、前よりきっちりやらなければ!と言う意識が壊滅してしまい、お返ししないとな~と思ううちに結局命日から半月以上になってしまいました。
地元にはお洒落系の贈答品店がないので電車でお返し品を見繕っていた気持ちも今年はコロナや大雨の影響もありモチベが下がってしまったので、自宅近くの店の贈り物コーナーの中から冷菓セットに。これから暑くなるし叔母さんの好みとか未だに分からないし贈った後は相手の自由なので自分が欲しいな~と思う品にしました。
あ、個人的に贈り物は基本的に常温保存できる物が良いと思います。冷蔵冷凍保存必須の物は意外に扱いが大変なんですよ。冷蔵庫と冷凍庫の大きさも限りがあるし、賞味期限が近かったり…冬ならまだしも夏では部屋に置いとくのも不安ですし、食材の場合は調理方法も面倒だったりするので。
お返しは叔母さん大好きな毒父に手渡ししてもらったのでこれでスッキリしました。時間のある時に持っていってと頼んだのですが、直後に行きましたよ。さすがこういうのは早いな…。本当は叔母さんのくれたお金からだけど説明が面倒なので私と姉からのお中元としました(笑)
毒父に説明をするのが疲れる
更新期限が切れる何年かおきの夏に国民健康保険証が送られてきます。2年て早いなぁ…。毒父は今年の秋に75歳になるので後期高齢者保険証に変わる為に、また後で違う保険証が送られてくるようです。一体この国は何種類健康保険証があるんだろう…。また今の保険証は期限が切れたら自分で廃棄、社会保険に入る時に手続きが必要なことなどが注意書きの用紙に書いてありました。
いつも通り上記が書いてある注意事項を読んでから毒父の保険証を台紙から剥がしておいて保険証を見せながら、8月から使う保険証と言うこと、7月分は8月になったら処分すること、75歳になる前に新しい保険証が届くことをゆっくりと大きい声で伝えました。(聞き返されてまた説明するのが面倒ですし)
保険証に書いてある有効期限位見ろよ…と思いつつ、いちいち国などからの知らせが届く度に事前に自分が理解しておいて更に毒父に分かるように説明する手間が本当に疲れるんですよ…。便利屋や親じゃないんですけど…しかも無料の上に特に感謝もされないし。
毒父とのやりとりについての記事はこちらです。


あ、今回は珍しく「おお、ありがと」と小さい声で軽くお礼を言われました。珍しく上機嫌だなと思ったら、叔母さんにお中元渡したからかと。本当叔母さん命ですからね、毒父は。逆に言うと叔母さんに少しでも否定的意見を言ったら烈火のごとく怒るのでくわばらくわばら。
まとめ
毒母が逝ってから痛感したのは死んでしまうと本当全てが終わるんだなぁということ。毒母には一応かなり面倒見てもらったことや少なからず楽しかったこともあった筈なんですが、辛かったことも含めて結構朧げだから多くのことを忘れていると思います。
でも何回も書いてしまいますがお金の無心だけはどうしても忘れられません。お金はもろ現実要素ですからね…正直1番忘れたいことなんですよ…。漫画などで嫌な辛い記憶を喪失させる能力を持つ医師とかいますが現実にいたら頼みたい位です。逆に覚えておきたいことなどはどんどん忘れるけどそんなもんですよね~逆だったらどんなに楽か。
考えることややるべきこと殆どが面倒くさくなってしまったので、正直叔母さんから善意でもお金を貰った時には姉とのやりとりやお返しも考えて準備しないとな…と気鬱に。今までで1番放置してしまったんですがようやく終わってホッとしました。
うっかりお中元と言ってしまったので叔母さんからのお返しがないといいなと思っています。悪いけど叔母さんのお中元手何回か貰ったけど、保存や準備、箱などの後始末が大変な物が多いんですよ…。世代感覚でしょうか…毒父以上の年代の方は贈り物と言うと面倒くさい大変な物が多い気がするんですよね。
仏壇の手入れなどしっかりしている方たちの意見を見ると凄いなぁ…と思うと同時に故人を素直に想える関係や性格に私もなってみたかったです。以前ならちゃんとやらねば、一応親だったしマナーもあるしと私なりに頑張ってはいたんですが、4年も経つともういいかな~と面倒くささがどうしても経ってしまっています。
それにリアルでは絶対に言えませんが、震災にもあわず今のように過酷でぎすぎすした生活や世の中に本格的に直面する前に逝けた毒母が正直凄く羨ましいんですよね…。死にたくないとよく言っていた毒母でしたがじゃぁ私と変わってほしいと当時から内心思っていました。
こんな性格なので表面上綺麗な悼み方をしても空々しいので4年経過したことだし、とりあえず毒母への追悼は故人の礼儀と自分への戒めとして、必要最低限だけして無理なことや無理な時には無理しないようにしようと思います。