毒母のような生き方は理想的

毒親
スポンサーリンク

 

人それぞれいろんな生き方がありますが毒母の生き方は最良と思える生き方かなと思います。毒母はとりあえず結婚と出産をして社会的の普通の立場にもなれたし、お金は使い放題、最期は病死で寿命をまっとうしましたから。仏壇の遺影を見る度にこれほど人生を満喫した毒母が羨ましいと思うばかりです。

 

ここでは毒母の生涯と毒母の人生から学んだお金を使い切って逝くことについて書いていきます。

 

引用元:sapphorisによるPixabayからの画像

 

 

スポンサーリンク

生きたいように生きた毒母の生涯

毒母が亡くなって今年で4年目。享年68歳でお人よしで楽天家の毒母は長生きするだろうなぁと思っていたので、平均寿命より早く亡くなるとは思ってもみませんでした。毒母の人生は振り返ると理想的だったなと思います。当人ではないのであくまで客観的での結論ですが、少なくとも人生を謳歌した方でしょう。

 

家族に恵まれずに早く結婚したかった10代

毒母は家庭環境は悪かったようでとにかく早く家を出たかったようです。又聞きですが幼少の頃はあまり話さずたまにの愚痴くらいにしか聞かない位でした。家が嫌だった分学校や会社はとても楽しく自由奔放だったようです。

 

 

結婚後出産し、高収入の毒父と自分も働きお金使い放題

早く結婚したくて家を出たいのでお見合いを結構したようです。当時は女性が一人で働くより結婚が最良の選択肢だったのでしょう。何人かお見合いをして毒父と結婚。当時毒父は結構かっこいい部類で(若い時の写真を見るとまぁ人によってはかっこいいと思えるんだろうなと言う感じだし結構モテていたようです)、父親の酒癖の悪さからお酒は少々という言葉を信じて結婚したようです。酒少々どころかアル中一歩手前レベルなところも結婚後に分かったと言うことで毒母のいかに男を見る目がないかが痛感…。

 

そして姉と私を出産し子育てなどの苦労はあるもののこれで世間体はつきます。更に毒父は工場経営で高収入の上、毒母は私が未成年までは内職で家計を支えるくらいの働き、成年後は毒父共に同じ工場で働くので毒母は生涯独身の時の1回しか履歴書を書かなかったと言うことで今の世代が聴いたら羨ましすぎるでしょう。私なんて何回書いたやら…。働いてからはともかく働くまでの苦労がない点が凄く羨ましい。

 

毒父もオレ様気質で受けるストレスの発散と幼少でお金を自由に使えなかったから、散在して買い物などに費やすのは自由ですが家計を圧迫し使い込むまで散在したことは親として失格でしょう…。高い物こそ良い物だ気質でしたから、買い物好きではあっても上手ではありませんでした。

 

 

工場閉鎖後は転落人生に耐えられなかった

そんな極楽人生も当然終わりが来ます。不況と毒父の高齢化により工場を閉鎖。閉鎖する時のお金に生命保険解約や毒父の株への使い込みなど、結局お金ありきの幸せなどかりそめでどんどん家族内の雰囲気は悪くなる一方でした、私も無職でしたから。

 

毒母も首の手術をしてから働けなくなり、と言っても日常生活はできるので働けなくもないけど、働きたくないと言うことで家事に専念。毒父は短時間のパート勤めと綱どころか糸渡り状態に。そして当然今まで貯金してこなかった分お金が無くなるので私や姉への金の無心をします。

 

転落は分かるから嫌で仕方なかったけどお金の無心には応じていましたが、そこまでしても買い物は止められずに結局無心がずっと続いたことが理解不能です。よく娘に借金をしていて買い物は続けられるなぁと。しかも毒父に知られたら怖いということで口止めまでしたし。

 

 

病死で周りに看取られながらの最期

転落人生が数年過ぎて発覚した毒母のすい臓がん。すい臓がんは本当に沈黙の病気で発覚するまでが全く自覚症状がなく、末期状態で初めて分かりそこからは余命1年未満の病気。まさか毒母が最初に逝くとは思ってなくてなんやかんやで治るんじゃないかなと楽天的に思うこともありましたが、10か月後に亡くなりました。

 

こんな転落人生でも死ぬのが悔しい、生きたかったと泣いていた毒母が正直凄いなと思いました。私なら生きていたくなんかないから。正直すい臓がんは痛み止めを貰っていても相当な苦痛らしく苦痛を訴えることは毒母の意地もあってか最期の方までなかったけど、苦しそうにしてましたから寿命のまっとうでも病死も辛いと痛感しました。

 

病気が発覚してから食欲はなしで何も食べられなくなり、食べること大好きな毒母にとっても見ている私にとっても毒母とはいえ食べられない様子は辛かったです。それでも周りに看病をされ、病院にも入り、葬式や通夜も行われ寿命をまっとう出来た毒母がとても羨ましいです。

 

 

お金を使い切り面倒なことは全て押し付けて逝った毒母

それにしても驚いたのが亡くなる数日前に毒母が姉に借りていた借金170万円を皮って返してほしいと言われたことです。…姉にまで借りていたんかい!しかもなんでそれを私が返さなくてはいけないと?しかもこんな最期の時に言われてはいくら私でも責められませんからね、怖いことから逃げ続けた毒母らしい告白の仕方です。

 

更に普通貯金通帳の残高が369円…。弥勒さまですよ。家賃とかどうするんだ!と慌てて毒父の年金収入や自分のなけなしの貯金から補てんしましたが。毒母が元気だったとしたらどうしていたのか、多分娘に無心し続けたんでしょう…。お金のないことの辛さは幼少から知っていたはずなのに反動で使い果たしたまま逝ってしまった毒母は、ある意味使い切ったから逝ったんだなと言う見事なタイミングでした。

 

あの世へはお金持っていけないし毒母の生き方が正しいんでしょうね…。でも一応毒父は残るんだからお金を預かっていた責任として何とも思わなかったのだろうか…。たまにお金のことが不安で眠れないと言っていましたが、正直私の方が余程眠れんわ!としか思えなくてお金のことを言われる度にイライラしました。

 

お金が最初からなかったわけではなく、あったはずのお金を娯楽に使ってしまってないからどうしようと言われてもね…。

 

 

まとめ

毒母で羨ましい所はお金を自分の思うように散在できたことと、就職活動をあまりしなかったこと、病気で全うできたこと、悲惨な世の中や極貧生活の行末を見ないで逝けたことでしょうね。

 

毒父の圧政や育児などストレスは半端なかったでしょうがその分買い物などに散在できたし、むしろ使い切ったとのやりくりとパワーアップした毒父との同居を押し付けられた私は報われなさすぎて泣ける…。

 

遺産なんていいからせめて毒父のもしもの時の為とかでへそくりとかあったらなぁ…見事に本気で使い切ってから逝った毒母。併せてお金のことなんて深く考えずに何とかなる気質の毒父と結婚し、産み落とされてしまった子供からすると、馬鹿両親から生まれた子供は不運で悲劇でしかないなと思います。

 

私も見習ってもう寿命と命日を自分で決めてその数か月後まで身辺整理と自分の好きなことをやることに決めました。自分なりに真面目にしたって否定されるなら好き勝手して否定される方が断然いいし、何よりそんな生き方をはっきりと示してくれたのですから、毒親は。

毒親うんざり
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク