3年間続いた小学校の登校班の班長

うんざり
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今年は心なしか花粉症がきつくよく鼻をかむので鼻の皮がむけて出血するわ、眼はかゆいわと散々な状態が続いています。家に居てもしっかり症状が出るから不思議です。ちょっとしたところから入ってくるんでしょうね。

 

家の近くには小学校があるので毎朝多くの登校班を見かける度に、登校班の班長をした時のことを今でも思い出します。リーダーシップを取れた華々しい記憶ではなく勿論しんどい思いをした記憶ですが。

 

今回は小学校の時の班長が苦痛だったことを書いていきます。

引用元:PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

 

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自分以外上級生が居ない為に自動的に小4~6年まで班長だった

基本的に小学校の登校時は地域ごとの班のメンバーで登校します。最上級生が班長、次学年の子が副班長になるのですが、運が悪いことに私が4年生の時に既に他に上級生が居なかったので、4年生から卒業まで班長をやることになってしまいました。

 

因みに副班長は1歳年下の5年生の男子2人が交互になったのですが、この2人がやんちゃと言うか悪がきと言うか…元気なのは良いことだろうけど、まぁ可愛げがないタイプでして。やりたくもない班長を3年間やらなければいけない揚句、班内に(私にとっては)問題児が2人いると言う厳しい状態でした。

 

私以外の年には上も下も年ごとに誰かしら子供がいたので長くて2年だったので、たまたま他に子供が居ない生まれ年にあたってしまったばかりに、面倒な役割を強制的に3年間もやらなければいけないのかと悔しかったし、ただでさえ憂鬱になり始めた小学校後半、班長になったことで特に毎日朝が苦痛でした。

 

小学校時代についての記事はこちらです。

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毎朝必須の班長業務

班長は登校時のリーダーなので、まず集合時間に早めに集合場所に来て待っていなければいけません。そして誰かが来ない場合には家にまで呼びに行かなければいかず、中でも悪がき2人がよく遅れてきたので朝から気鬱でした。一応毎朝毒母を始めそれぞれの子どもの母親も集まるので一緒に呼びに行ってはくれましたが。

 

そして家から小学校までは坂道、横断歩道、舗装されていない道など色々な道があり只でさえ気を使う場所も多いのに、親の目が離れた途端悪がきがチョロチョロ動くので常に気をはってなくてはいけません。

 

けれど毎日毎日精神の限界だったので、本当はRPGのように一列にきちんと歩かなければいけないのですが面倒見きれず、6年の後半くらいからは集合場所を離れたらほぼ放置して順番バラバラで登校していました。たまたま他に登校班も居なかったので見られる心配もなかったので。

 

ですが今思うと事故とか起きなかったのが本当に救いでした。もし事故など起きていたら小学生とはいえ班長の責任も大きいし、親からも責められるだろうし、更に万一のことでもあったら流石に平常ではいられなかったでしょう。

 

 

不定期の班長会と不意の集団下校

班長会と言う不定期に他の班長との集まりでの意見交換もきつかったです。昼休みと決まっているものの何日にやるかも決まっていないので、いきなり校内アナウンスで集合がかかった時にはお昼を途中で切り上げて遅刻しないように急いで行かなければいけない圧力、集まり内でのいたたまれなさ、たまに時間が押した場合には午後の授業に遅れないように急いで戻らなければいけない等、動作が遅く内向的な私には苦行そのものでした。

 

また集団下校時には他の班員を迎えに行って決められた教室に全員集まってから帰宅をしなければいけない業務もあるので本当に大変でした。素直に待っている班員だけではないので、迎えに行った時にいなかった時等には勘弁してくれと心の中では半泣き状態。

 

しかも私が6年生の時には大雪で早めの下校の時が多かったので、普通なら嬉しいはずの早めの下校なのに、また班長しなければいけないのかとげんなりでした。

 

因みに班長が辛かったことについては親には何も言っていません。言っても無駄だしどうにもならないことは既に子供ながら分かっていたので、ひたすら我慢していました。

学生時の親の態度についての記事はこちらです。

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まとめ

普通以上のタイプには軽いことでも、私のように内向的なタイプにとっては、リーダー業務は本当苦痛です。業務内容は地域や年代によっても変わるでしょうから、私の頃と違う点が多いかもしれません。もっと子供が少ない地域では更に長く班長をした子も多いかもしれないですね。班長をしていた3年間は毎朝起きる度に辛かったなぁ…。毎年毎年班旗を見る度に、なんでよりによって私のようなタイプが長くやることになるのかとため息でした。

 

周りは長くて2年位なのもトドメでした。中学年の4年での班長は、班長の集まりでもごくわずかしかいませんでしたから。せめて5、6年の上級生時ならまだ諦めがついたのですが。

 

まして悪がきが2人もいる状態で、当の悪がき2人は交代の上1年しかやらなくて済むし、それ以下の年代もやはり少ない年数だし、おまけに元気なタイプの姉は1年しかやらなかったこともあり、なんで私だけと言う不公平感が半端なかったです。言っても仕方ないことは分かるし、持ち回りで自動的で断ることも出来ないからこそ余計にきつい。

 

苦手と思っていたリーダーも3年間きっちりとこなして成長できました!ってなれたら良かったのでしょうが、更に劣等感と対人恐怖が増しただけに終わりました。日々一杯一杯で、どうこなしていけばいいかまで考える余力なんかとてもなかったです。

 

だから小学校卒業時には、班長をしなくていいし自由登校が出来る、ようやくお役御免だと本当に嬉しかったです。まさか中学で班長経験など遥に上回る地獄の断頭台的な毎日が待っているとは思いもしませんでしたが…。

 

…自分から書いておいてなんですが、毎度のことながら書いていて悲しくなってきました。たまには明るいとまではいかなくても朗らかなことでも書きたいですが、ぱっと思い浮ばないと言うことは、心底楽しかったこと喜んだこと穏やかだったことなんて本当にごく僅かだったんだなぁと。自分よく耐えてきたなぁとせめてささやかに一瞬でも自分で自分を労わりたいです。

 

うんざりその他
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